千一夜物語
澪は活発でいて無邪気ていて、疑うことを知らない。

素性の知れない男をこうして介抱して頬を染めている――そんな表情をされてもしかして気があるのではと思わない男は居ない。


「天然のたらしか」


「え?どういう意味?」


「いや、なんでもない。俺は明日仲間と拠点に戻るが、何か礼をしないとな」


「礼?じゃあ…その仮面を外して素顔を見せてくれるだけでいいよ」


夜明けまでふたりと一匹で他愛のない話をしていて別れが近付く中、黎は澪に素顔を要求されて笑みを噛み殺した。

道理でちらちらと目が合うはず――

関心を持たれていることにじわりと喜びを覚えた黎は、このまま謎の男でいるのもいいかもしれないと意地の悪い考えに至って澪の鼻を指で軽く弾いた。


「許嫁がいるくせによその男に関心を持つのか?」


「だって…会ったことも話したこともないのよ。それに年上だって聞いてるし…。ねえ、あなたも年上よね?同じ位かな…」


「その男と夫婦になるのが嫌なんだな?」


「だって私初恋もまだだし…。黒縫から聞いたけどあなたにも許嫁が居るんでしょ?可愛い?美人?」


「俺も会ったことはないし会うつもりもない。…そうだな、お前がその状況から逃げ出したいのなら、俺が攫ってやってもいいぞ」


澪の顔がぱっと輝いて期待を抱いた黎は、仮面の下でまた意地の悪い笑みを浮かべて、はじめて澪のつややかな黒髪に指で触れた。

どきっとした顔をされて牙が疼いてしまい、再度問うた。


「どうだ、ついて来るか?」


「つ…ついて行ったらどうなるの?」


「そうだな、俺は手が早いからこういうことをすぐするだろうな」


――澪の腰に腕を回して強く抱き寄せると、胸の中に飛び込んでくる形になって澪の身体が緊張で固くなった。


はじめて男に抱きしめられた瞬間だった。
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