千一夜物語
目が潤んで頬を染めている澪の態度で、確実に自分に気があると分かると、躊躇をするつもりはなかった。

黎はやわらかい身体を抱きしめながら顔を寄せて顎に手を添えた。


「俺の素顔を見たいか?」


「み…見たいけど…でもこの体勢…」


「お前は今から俺に唇を奪われる。それ以上のことはお前の態度で決める」


――無性にこの男の正体を知りたくて、ぺらぺら他愛のないことを話す自分の話に茶々を入れず聞いてくれる聞き上手の男。

強くて美しいことはもう揺るぎのない事実。

ついて行きたいと思った。

知らない男になど嫁ぎたくはない。

家を捨てて何もかも捨てて、この男について行きたいと思った。


「私…あ、あなたに襲われるの…?」


「襲うんじゃない。ちゃんと同意を求めてるじゃないか」


――その間にも黎は指で誘うように少し開いている唇に触れていて、黒縫が言ったように意外に大きな胸の感触が腕に伝わっていて、肩を竦めた。


「駄目なのか?」


「駄目じゃ…ないよ…。私も逃げたい。あなたと一緒に」


決定的な同意を得た黎は――夜叉の仮面をずらした。

澪の食い入るような視線を感じながら、その可憐な唇を得るために仮面を半分までずらして少し笑んでいる様を見せた時、澪が頬におずおずと手を伸ばして触れてきた。


「つれて行ってくれる?私と、黒縫も一緒に」


「いいとも。だが俺について来るということは、さっきも言ったように俺はお前を抱くぞ。俺のものになるということだぞ」


「い…いいよ。だってあなた怖くないし…優しいから」


知らない男が澪に近付けば容赦なく襲いかかる黒縫は、じっと伏せていた。

黎を認めて目を伏せて寝ているふりをしていた。


「そうか。じゃあとりあえず唇を頂こう」


澪が目を閉じる。

黎は仮面を外して斜めに顔を近付けて――唇を奪おうとした。


だが――


「何者だ!娘に近付くな!」


甘い時間は脆くも崩れ去り、黎は内心舌打ちをしながら素早く仮面をつけた。
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