ドS上司の意外な一面
***
「ただいま戻りました」
直属の上司にあたる、小野寺先輩に声をかけた。
「鎌田課長に頼まれた用事って、大変なことだったの? 何だか、顔がやつれて見えるよ」
自分の席に座った私の顔を、まじまじと見つめてくる。
「用事自体は、たいしたことなかったんです。行った先で出会った人たちが少し個性的過ぎて、疲れてしまったというか」
今川さんも個性的だったけど、それ以上に正仁さんの元カノの美人さと性格には驚いた。私のモノだったのよと言わんばかりに呼び捨てして、思わずムカついて無駄に張り合ってしまった。張り合わなくても私はれっきとした正仁さんの奥さんなんだから、そんなの無視して堂々とすれば良かっただけなのに。
「鎌田課長が呼んでると思う、多分……」
「えっ!?」
「こっちにレーザービームがばしばし飛んできてるし、きっと鎌田さんの異変に気付いたんじゃないのかな。すぐに行ってきた方がいいと思う」
「はぁ――」
今の落ち込んだ気分で、話をしたくないな。
重い腰をあげて、とぼとぼと正仁さんのデスクに赴く。やって来る私の姿を確認して、ふっと表情を和らげた正仁さん。
「さすが小野寺、俺の意図を視線だけで察知するとは」
満足げに片側の口角を上げて、笑みを浮かべる。
「何かご用でしょうか?」
「おつかいのご褒美をあげます、ついて来てください」
「ご褒美……。今はそんな気分じゃないんです」
私が顔を伏せて、しょんぼりしながら言ってるのに。
「君を元気にしてみせますよ、ほら」
公衆の面前なのに珍しく強引に手を握りしめると、ある場所に向かおうとする正仁さん。反抗するのも悪いので、渋々ついて行くことにした。
「あの、どこに行くんですか?」
手を繋がれたままの私は、ずっとテンションが低いままだった。正仁さんは腕時計で時間を確認しながら、急ぎ足で引っ張って歩く。
「資料室です。はい、中に入って」
繋いでいた手を離すと私の背中をグイグイ両手で押して、強引に中に入れられてしまった。そしてガチャリと鍵を閉める。
「えっと……正仁さん、どうして鍵を閉めるんですか?」
「ここは社内ですよ。下の名前で呼ぶのは厳禁」
私の唇を優しく、右手人差し指でそっと触れてきた。だけどいつものように、片側の口角が上がっている。
(――これは何か企んでいるな、妻の直感!)
「それじゃあ、こっちで話を聞きますか」
右腕を引っ張り、書類棚と窓際の狭い隙間に体を押し込められてしまった。
怪訝な顔をして正仁さんを見上げると、メガネを外し胸ポケットにしまっている姿が目の前にあった。レンズ越しじゃない艶っぽい眼差しに、胸がキュンとなる。
一歩退いた位置から腕を組んで、改めて私を見下ろしてきた。
「鎌田課長あのですね……どうしてこんな狭い所で、話をしなきゃならないんですか? 圧迫感が何となく怖いです」
正しくは正仁さんの策略が、とっても怖いんですが――
「ふっ、逃げ場をなくすためですよ」
「は!?」
素っ頓狂な声をあげた私の頬を、両手でそっと包み込んだ。
「狭い所でスルのはいいんです」
「っ……」
「体の逃げ場を塞ぐんですから思う存分、ガンガン責め立てることができるでしょう?」
正仁さんから、淫靡なフェロモンが出ている気がする。何だかクラクラしてきちゃった。
「で? 君はどうして、そんなに落ち込んでいるんです?」
覗き込むように、顔を近づける正仁さん。俯きたくても両手で頬を包まれているので、何とか視線だけを逸らした。
「くだらないことなんです、気にしないで下さい」
「くだらないかどうかは、俺が決めます。さぁ言ってみなさい」
片手を私の頭に移動して、落ち込んでいる気持ちを宥めるように撫でなでしてきた。こんな優しいことも、あの美人にしたのかな。
「……山田さんの会社で、鎌田課長の元カノに逢いました。彼女の物言いが気に入らなくて、つい張り合うような発言を、思わずしちゃったんです」
「そうですか。君は何を言ったんです?」
「む……確か、私は美人でもないし、スタイルも良しとは言えないけどドMだから、正仁さんは選んでくれたんだと思います。だったかな」
正仁さんは驚いた顔をして、まじまじと私を見た。これって絶対、誤解しているに違いない!
「君って人は相変わらず、凄いことを言いますね」
「ドMのMはマジのMなんですっ、マゾじゃないですから」
慌てて説明したのにそれを聞いた途端、正仁さんはお腹を抱えて大笑いした。
「あの女もさぞかし、君の発言に面食らったことでしょう。その現場を是非とも、リアルタイムで見たかったです」
「や、そんなに笑わないで下さい。私、頑張ったんです」
今、思えば無駄な頑張りだけど――
「あの女と付き合ったのは半年となっていますが、実は正味一ヶ月なんです。お互い仕事が忙しくてすれ違ってばかりでしたし、会うと仕事に対する考え方について、いつも口論ばかりしていました」
「……何となく想像がつきます」
さすがカマキリ同士、張り合い方が半端ない気がする。
「それでさっきの発言のどこに、落ち込む要素があるんですか?」
涙が出るくらい大笑いしたのだろう、ごしごし目をこすりながら聞いてきた。
「あんなゴージャスでナイスバディな美人と私じゃ、天地の差だなぁって勝手に落ち込んでたんです」
「そうですね。俺は最低な女と付き合ったということが、君と付き合ってよく分かりました」
「正仁さん……じゃなかった鎌田課長」
「あんな女に嫉妬しないで下さい。嫉妬は俺の専売特許ですから」
ぎゅっと強く抱き締めてくれる。正仁さんから伝わってくるぬくもりに、わだかまっていた心が、ほろほろと溶かされていった。
「まったく。さっきまで俺が嫉妬していることに、君は気がつきましたか?」
「えっ?」
「ただいま戻りました」
直属の上司にあたる、小野寺先輩に声をかけた。
「鎌田課長に頼まれた用事って、大変なことだったの? 何だか、顔がやつれて見えるよ」
自分の席に座った私の顔を、まじまじと見つめてくる。
「用事自体は、たいしたことなかったんです。行った先で出会った人たちが少し個性的過ぎて、疲れてしまったというか」
今川さんも個性的だったけど、それ以上に正仁さんの元カノの美人さと性格には驚いた。私のモノだったのよと言わんばかりに呼び捨てして、思わずムカついて無駄に張り合ってしまった。張り合わなくても私はれっきとした正仁さんの奥さんなんだから、そんなの無視して堂々とすれば良かっただけなのに。
「鎌田課長が呼んでると思う、多分……」
「えっ!?」
「こっちにレーザービームがばしばし飛んできてるし、きっと鎌田さんの異変に気付いたんじゃないのかな。すぐに行ってきた方がいいと思う」
「はぁ――」
今の落ち込んだ気分で、話をしたくないな。
重い腰をあげて、とぼとぼと正仁さんのデスクに赴く。やって来る私の姿を確認して、ふっと表情を和らげた正仁さん。
「さすが小野寺、俺の意図を視線だけで察知するとは」
満足げに片側の口角を上げて、笑みを浮かべる。
「何かご用でしょうか?」
「おつかいのご褒美をあげます、ついて来てください」
「ご褒美……。今はそんな気分じゃないんです」
私が顔を伏せて、しょんぼりしながら言ってるのに。
「君を元気にしてみせますよ、ほら」
公衆の面前なのに珍しく強引に手を握りしめると、ある場所に向かおうとする正仁さん。反抗するのも悪いので、渋々ついて行くことにした。
「あの、どこに行くんですか?」
手を繋がれたままの私は、ずっとテンションが低いままだった。正仁さんは腕時計で時間を確認しながら、急ぎ足で引っ張って歩く。
「資料室です。はい、中に入って」
繋いでいた手を離すと私の背中をグイグイ両手で押して、強引に中に入れられてしまった。そしてガチャリと鍵を閉める。
「えっと……正仁さん、どうして鍵を閉めるんですか?」
「ここは社内ですよ。下の名前で呼ぶのは厳禁」
私の唇を優しく、右手人差し指でそっと触れてきた。だけどいつものように、片側の口角が上がっている。
(――これは何か企んでいるな、妻の直感!)
「それじゃあ、こっちで話を聞きますか」
右腕を引っ張り、書類棚と窓際の狭い隙間に体を押し込められてしまった。
怪訝な顔をして正仁さんを見上げると、メガネを外し胸ポケットにしまっている姿が目の前にあった。レンズ越しじゃない艶っぽい眼差しに、胸がキュンとなる。
一歩退いた位置から腕を組んで、改めて私を見下ろしてきた。
「鎌田課長あのですね……どうしてこんな狭い所で、話をしなきゃならないんですか? 圧迫感が何となく怖いです」
正しくは正仁さんの策略が、とっても怖いんですが――
「ふっ、逃げ場をなくすためですよ」
「は!?」
素っ頓狂な声をあげた私の頬を、両手でそっと包み込んだ。
「狭い所でスルのはいいんです」
「っ……」
「体の逃げ場を塞ぐんですから思う存分、ガンガン責め立てることができるでしょう?」
正仁さんから、淫靡なフェロモンが出ている気がする。何だかクラクラしてきちゃった。
「で? 君はどうして、そんなに落ち込んでいるんです?」
覗き込むように、顔を近づける正仁さん。俯きたくても両手で頬を包まれているので、何とか視線だけを逸らした。
「くだらないことなんです、気にしないで下さい」
「くだらないかどうかは、俺が決めます。さぁ言ってみなさい」
片手を私の頭に移動して、落ち込んでいる気持ちを宥めるように撫でなでしてきた。こんな優しいことも、あの美人にしたのかな。
「……山田さんの会社で、鎌田課長の元カノに逢いました。彼女の物言いが気に入らなくて、つい張り合うような発言を、思わずしちゃったんです」
「そうですか。君は何を言ったんです?」
「む……確か、私は美人でもないし、スタイルも良しとは言えないけどドMだから、正仁さんは選んでくれたんだと思います。だったかな」
正仁さんは驚いた顔をして、まじまじと私を見た。これって絶対、誤解しているに違いない!
「君って人は相変わらず、凄いことを言いますね」
「ドMのMはマジのMなんですっ、マゾじゃないですから」
慌てて説明したのにそれを聞いた途端、正仁さんはお腹を抱えて大笑いした。
「あの女もさぞかし、君の発言に面食らったことでしょう。その現場を是非とも、リアルタイムで見たかったです」
「や、そんなに笑わないで下さい。私、頑張ったんです」
今、思えば無駄な頑張りだけど――
「あの女と付き合ったのは半年となっていますが、実は正味一ヶ月なんです。お互い仕事が忙しくてすれ違ってばかりでしたし、会うと仕事に対する考え方について、いつも口論ばかりしていました」
「……何となく想像がつきます」
さすがカマキリ同士、張り合い方が半端ない気がする。
「それでさっきの発言のどこに、落ち込む要素があるんですか?」
涙が出るくらい大笑いしたのだろう、ごしごし目をこすりながら聞いてきた。
「あんなゴージャスでナイスバディな美人と私じゃ、天地の差だなぁって勝手に落ち込んでたんです」
「そうですね。俺は最低な女と付き合ったということが、君と付き合ってよく分かりました」
「正仁さん……じゃなかった鎌田課長」
「あんな女に嫉妬しないで下さい。嫉妬は俺の専売特許ですから」
ぎゅっと強く抱き締めてくれる。正仁さんから伝わってくるぬくもりに、わだかまっていた心が、ほろほろと溶かされていった。
「まったく。さっきまで俺が嫉妬していることに、君は気がつきましたか?」
「えっ?」