ドS上司の意外な一面
***
「ひとみ、ひとみっ、大丈夫ですか?」
遠くで正仁さんの声が聞こえる。ぼんやりした頭で、さっきまでのことを考えた。
「ひとみ?」
心配そうな目をした正仁さんが私の顔を覗き込む。優しく頭を撫でながら、慈しむように抱き締めてくれた。こんな顔した彼を見られるのは、間違いなく私だけだろうな。
「ププッ」
「こらっ、人を心配させておいて、寝たふりをしていたんですか」
怒った顔で、私の左頬を優しくつねる。
「正仁さんがあんなことをして、無駄に頑張るから気を失いかけました。ホントびっくりです。どこから、あんなモノを用意してたんですか?」
「君の紐パンには負けますけどね」
片側の口角を上げて笑う。まるで悪戯が成功して喜ぶ子供みたい。
「いきなり目隠しするのは、すっごくコワいですよ。何をされるか分からないから、ドキドキしました」
ドキドキというよりは、ハラハラの方が大きいかも……。
「そう言いながら、スゴく感じてたじゃないですか。全身性感帯状態で」
「それを言わないで下さい、恥ずかし過ぎます」
その後、目隠しした布を外して、それを使って後ろ手に縛られてからすごかった――
「止めないで下さいって頼んだのは、どこの誰でしょう?」
「それは、そのぅ」
違うのだ。止めてって言いそうになって慌てて訂正しただけだったのに、つい出た言葉が問題だっただけ。
照れた私は正仁さんに背を向けた。そんな私を後ろから優しく腕を回してくれる。
「一度目は準備運動みたいなものでしたから、流してみたんですが」
「あれが準備運動……」
「二度目が本番ということで。気を失いかける程、良かったでしょう?」
はむっと私の耳を甘噛みする。あんなに激しいコトしたというのに、余裕のある正仁さんには敵わない。
「自分でもあんなになっちゃうなんて、未だに信じられないです」
「初級編で開発しておいたのが花開しただけですよ。もともと感じやすい体質だったのもありますがね」
そう言いながら、ちゅっと肩にキスをした。
「正仁さんが好きです」
「どうしたんです? 急にそんなことを言って。いつも通りの話題転換」
フッと笑った感じが背中に伝わる。私はくるりと向きを変えて、正仁さんの顔を見つめた。
「時々、夢じゃないかと思うんです。あんなに嫌いだった人を一瞬で好きになった上に、相思相愛になって結婚までしちゃったことが。今だってこうして腕の中にいるのが、幸せ過ぎて怖いくらい」
「それは俺だって同じです。きっと叶うことのない恋だと思ってましたから。毎日が夢のようです」
更にきつく抱き締めて、こめかみにキスをする。しっとりした正仁さんの唇を感じただけで、胸が熱くなるな。
「君をはっきりと意識したのは、会社のトイレの中だったんですよ」
「何でトイレ!?」
「それはですね――」
あれは確か二年前の、君の誕生日の翌日。
前日、激しさを極めた状態で君を叱った。仕事の忙しさからくるストレスが、多少なりとも入っていたと思う。かなりキツい言葉で叱責したら、君の大きい目から涙がこぼれた。その涙を見た瞬間、胸がズキンズキンとひどく痛んだ。
今まで何人もの新入社員を泣かせてきたのだが、今回ばかりは何かが違う。その違いがまったく分からずモヤモヤしたまま出社し、ぶらぶらとショッピングモールで夕飯の買物をした。
その時に目に入った髪飾り――君のイメージにぴったりだと思い、そっと手に取ったんだ。
泣かせたお詫びになればいい。確か今日が君の誕生日だったなと思い出したのもあり、迷うことなく購入したのに。
「渡すタイミングが分からない、なんて……」
只今、男子トイレの個室の中で座り込んで、ひとり悶々と考えている。スーツの内側にある胸ポケットに入ったままのプレゼントが、やけに重く感じた。
昨日のこともあってか、朝から大嫌いオーラを漂わせた君が目の前にいる状態。俺は素知らぬ顔をして、仕事していたのだけれど。
「何て言って、渡せばいいのだろうか?」
(――途方に暮れるとはこのことだ)
頭を掻きむしりながら、あれこれといろいろ考えた。しかし何か、どれも今一つなのである。仕事なら、あっさりと解決しそうなのに。ただ後輩に詫びを入れる、それだけなのにどうして、変に考え込んでしまうのだろうか。
目をつぶり、仕事をしている君をふと思い出す。さっきもイライラしながら、肩まで伸ばした髪を何度も耳にかけていたっけ。
これはきっと役に立つはず、というか似合うよな。
髪飾りをつけた君が笑顔で俺を見る。そんなあり得ない想像しただけで、なぜだか胸が熱くなった。
「もしかして、この心の乱れは――」
自分の異変に気付いたそのとき、誰かがトイレに入ってきた。
「いやぁ先輩の落としテクは、毎度勉強になります。すっげぇ尊敬します」
「お前のアフターがあるから成せる技だよ。お互い持ちつ持たれつ、宜しくな」
アヤシイ笑い声が、トイレの中に響く。
「今年の新人で食ってないのは、あと秘書課と営業だけですねぇ」
「秘書課は忙しいから、なかなか合コンにも参加してくれないんだよ」
「営業は? ガード緩いですよね」
「営業一と三は緩いんだが、二課が問題でよ。あのカマキリが仕切ってるから」
「ああ! いろんな意味でキレ者の」
「そうそう! あそこは最低でも半年間、男女関わらず夜遊びができないらしいから。合コンなんて持っての他、きっちり残業入れるらしいぜ」
当たり前だ、一人前に仕事のできない奴を、呑みに行かせるかってぇの――それよりもお前ら仕事しろ!
イライラしながら、外の会話に耳を傾ける。
「営業二課の新人って確か、どこにでもいそうなタイプの女でしたよね」
「そういうのに限って、夜はスゴいんだぜ。試してみたいよな」
確かに、ああいう純情そうなコは調教次第で、ガラリと変わる可能性がある……って何、考えてんだ俺は。これじゃあ、外の奴らと同レベルだろ。
音がしないようにコッソリ立ち上がり、頭を抱えた。
「あのカマキリのガードを破る手だては、何かないですかね。頑固で融通のきかないタイプらしいっすよ」
「俺も苦手。頭が良いだけに隙がないんだよ」
「お褒めにあずかり光栄です、黒木先輩」
トイレの扉を、派手に音を立てながら登場してやった。ギョッとする先輩方に俺は片側の口角を上げながら、洗面台に近づき手を洗った。
「かっ鎌田、今までの話、聞いてただろ?」
「聞きたくなくても、あんな大声で喋っていたら嫌でも聞こえます」
「それなら俺らの希望、叶えてくれないか? お前んとこの新人、呑みに連れ出して欲しいんだよ」
馴れ馴れしく肩を組んで、俺の顔を覗き込む。
「もれなく鎌田も合コンに参加して、彼女作ればいいじゃないか。お前みたいなイケメンなら、選り取りみどりだろ?」
俺はため息をついてから濡れた手をハンカチで拭い、肩に回された腕をやんわりと外してやった。
「先輩方が毎年のように新人に手を出してるから、女子社員に相手をされないのご存知ですよね。そんな見下されている人と仕事はおろか、合コンなんて行くワケがないでしょう」
「なっ!? 鎌田お前先輩に向かって、何ていう口のきき方するんだ」
「腰巾着の先輩に言われても、全然怖くないですが。彼女は絶対に渡しません」
顔を背け出口に向かおうとしたら、グイッと襟元を掴まれた。
「何だよお前、その新人が好きなのか?」
「手塩にかけて育てているできの良い新人を、潰されたくないだけです。好意はありません」
強く言い放つと、掴まれた襟元の腕を捻り上げてやった。
「痛っ!」
「先輩方が卑怯な手段に出るなら、俺も本気で対処させてもらいますから覚悟して下さい」
掴んでいる腕を思いきりぶん投げて、その場をあとにする。
全力で守ると決めたその日、伊達メガネを購入した。想いと一緒に視線の先に君が映ってることがバレぬよう、君をしっかりと見守るために。
「だからトイレで、君への想いを確信したワケなんです。あれ寝てる」
俺の腕の中で幸せそうな顔をして眠る君、愛しさが胸を駆け巡る。そんな彼女を抱き締めながら、その日はゆっくり眠りについたのだった。
「ひとみ、ひとみっ、大丈夫ですか?」
遠くで正仁さんの声が聞こえる。ぼんやりした頭で、さっきまでのことを考えた。
「ひとみ?」
心配そうな目をした正仁さんが私の顔を覗き込む。優しく頭を撫でながら、慈しむように抱き締めてくれた。こんな顔した彼を見られるのは、間違いなく私だけだろうな。
「ププッ」
「こらっ、人を心配させておいて、寝たふりをしていたんですか」
怒った顔で、私の左頬を優しくつねる。
「正仁さんがあんなことをして、無駄に頑張るから気を失いかけました。ホントびっくりです。どこから、あんなモノを用意してたんですか?」
「君の紐パンには負けますけどね」
片側の口角を上げて笑う。まるで悪戯が成功して喜ぶ子供みたい。
「いきなり目隠しするのは、すっごくコワいですよ。何をされるか分からないから、ドキドキしました」
ドキドキというよりは、ハラハラの方が大きいかも……。
「そう言いながら、スゴく感じてたじゃないですか。全身性感帯状態で」
「それを言わないで下さい、恥ずかし過ぎます」
その後、目隠しした布を外して、それを使って後ろ手に縛られてからすごかった――
「止めないで下さいって頼んだのは、どこの誰でしょう?」
「それは、そのぅ」
違うのだ。止めてって言いそうになって慌てて訂正しただけだったのに、つい出た言葉が問題だっただけ。
照れた私は正仁さんに背を向けた。そんな私を後ろから優しく腕を回してくれる。
「一度目は準備運動みたいなものでしたから、流してみたんですが」
「あれが準備運動……」
「二度目が本番ということで。気を失いかける程、良かったでしょう?」
はむっと私の耳を甘噛みする。あんなに激しいコトしたというのに、余裕のある正仁さんには敵わない。
「自分でもあんなになっちゃうなんて、未だに信じられないです」
「初級編で開発しておいたのが花開しただけですよ。もともと感じやすい体質だったのもありますがね」
そう言いながら、ちゅっと肩にキスをした。
「正仁さんが好きです」
「どうしたんです? 急にそんなことを言って。いつも通りの話題転換」
フッと笑った感じが背中に伝わる。私はくるりと向きを変えて、正仁さんの顔を見つめた。
「時々、夢じゃないかと思うんです。あんなに嫌いだった人を一瞬で好きになった上に、相思相愛になって結婚までしちゃったことが。今だってこうして腕の中にいるのが、幸せ過ぎて怖いくらい」
「それは俺だって同じです。きっと叶うことのない恋だと思ってましたから。毎日が夢のようです」
更にきつく抱き締めて、こめかみにキスをする。しっとりした正仁さんの唇を感じただけで、胸が熱くなるな。
「君をはっきりと意識したのは、会社のトイレの中だったんですよ」
「何でトイレ!?」
「それはですね――」
あれは確か二年前の、君の誕生日の翌日。
前日、激しさを極めた状態で君を叱った。仕事の忙しさからくるストレスが、多少なりとも入っていたと思う。かなりキツい言葉で叱責したら、君の大きい目から涙がこぼれた。その涙を見た瞬間、胸がズキンズキンとひどく痛んだ。
今まで何人もの新入社員を泣かせてきたのだが、今回ばかりは何かが違う。その違いがまったく分からずモヤモヤしたまま出社し、ぶらぶらとショッピングモールで夕飯の買物をした。
その時に目に入った髪飾り――君のイメージにぴったりだと思い、そっと手に取ったんだ。
泣かせたお詫びになればいい。確か今日が君の誕生日だったなと思い出したのもあり、迷うことなく購入したのに。
「渡すタイミングが分からない、なんて……」
只今、男子トイレの個室の中で座り込んで、ひとり悶々と考えている。スーツの内側にある胸ポケットに入ったままのプレゼントが、やけに重く感じた。
昨日のこともあってか、朝から大嫌いオーラを漂わせた君が目の前にいる状態。俺は素知らぬ顔をして、仕事していたのだけれど。
「何て言って、渡せばいいのだろうか?」
(――途方に暮れるとはこのことだ)
頭を掻きむしりながら、あれこれといろいろ考えた。しかし何か、どれも今一つなのである。仕事なら、あっさりと解決しそうなのに。ただ後輩に詫びを入れる、それだけなのにどうして、変に考え込んでしまうのだろうか。
目をつぶり、仕事をしている君をふと思い出す。さっきもイライラしながら、肩まで伸ばした髪を何度も耳にかけていたっけ。
これはきっと役に立つはず、というか似合うよな。
髪飾りをつけた君が笑顔で俺を見る。そんなあり得ない想像しただけで、なぜだか胸が熱くなった。
「もしかして、この心の乱れは――」
自分の異変に気付いたそのとき、誰かがトイレに入ってきた。
「いやぁ先輩の落としテクは、毎度勉強になります。すっげぇ尊敬します」
「お前のアフターがあるから成せる技だよ。お互い持ちつ持たれつ、宜しくな」
アヤシイ笑い声が、トイレの中に響く。
「今年の新人で食ってないのは、あと秘書課と営業だけですねぇ」
「秘書課は忙しいから、なかなか合コンにも参加してくれないんだよ」
「営業は? ガード緩いですよね」
「営業一と三は緩いんだが、二課が問題でよ。あのカマキリが仕切ってるから」
「ああ! いろんな意味でキレ者の」
「そうそう! あそこは最低でも半年間、男女関わらず夜遊びができないらしいから。合コンなんて持っての他、きっちり残業入れるらしいぜ」
当たり前だ、一人前に仕事のできない奴を、呑みに行かせるかってぇの――それよりもお前ら仕事しろ!
イライラしながら、外の会話に耳を傾ける。
「営業二課の新人って確か、どこにでもいそうなタイプの女でしたよね」
「そういうのに限って、夜はスゴいんだぜ。試してみたいよな」
確かに、ああいう純情そうなコは調教次第で、ガラリと変わる可能性がある……って何、考えてんだ俺は。これじゃあ、外の奴らと同レベルだろ。
音がしないようにコッソリ立ち上がり、頭を抱えた。
「あのカマキリのガードを破る手だては、何かないですかね。頑固で融通のきかないタイプらしいっすよ」
「俺も苦手。頭が良いだけに隙がないんだよ」
「お褒めにあずかり光栄です、黒木先輩」
トイレの扉を、派手に音を立てながら登場してやった。ギョッとする先輩方に俺は片側の口角を上げながら、洗面台に近づき手を洗った。
「かっ鎌田、今までの話、聞いてただろ?」
「聞きたくなくても、あんな大声で喋っていたら嫌でも聞こえます」
「それなら俺らの希望、叶えてくれないか? お前んとこの新人、呑みに連れ出して欲しいんだよ」
馴れ馴れしく肩を組んで、俺の顔を覗き込む。
「もれなく鎌田も合コンに参加して、彼女作ればいいじゃないか。お前みたいなイケメンなら、選り取りみどりだろ?」
俺はため息をついてから濡れた手をハンカチで拭い、肩に回された腕をやんわりと外してやった。
「先輩方が毎年のように新人に手を出してるから、女子社員に相手をされないのご存知ですよね。そんな見下されている人と仕事はおろか、合コンなんて行くワケがないでしょう」
「なっ!? 鎌田お前先輩に向かって、何ていう口のきき方するんだ」
「腰巾着の先輩に言われても、全然怖くないですが。彼女は絶対に渡しません」
顔を背け出口に向かおうとしたら、グイッと襟元を掴まれた。
「何だよお前、その新人が好きなのか?」
「手塩にかけて育てているできの良い新人を、潰されたくないだけです。好意はありません」
強く言い放つと、掴まれた襟元の腕を捻り上げてやった。
「痛っ!」
「先輩方が卑怯な手段に出るなら、俺も本気で対処させてもらいますから覚悟して下さい」
掴んでいる腕を思いきりぶん投げて、その場をあとにする。
全力で守ると決めたその日、伊達メガネを購入した。想いと一緒に視線の先に君が映ってることがバレぬよう、君をしっかりと見守るために。
「だからトイレで、君への想いを確信したワケなんです。あれ寝てる」
俺の腕の中で幸せそうな顔をして眠る君、愛しさが胸を駆け巡る。そんな彼女を抱き締めながら、その日はゆっくり眠りについたのだった。