ドS上司の意外な一面
***

 なるべく音をたてないように鍵を開けて、こそこそと家の中へ入る。どんな小さい音でも聞き逃さずに、八朔はいつも出迎えてくれていた。

「にゃにゃ~」(にぃちゃお帰り)

 玄関の棚にメガネを置いてから八朔を抱っこして、リビングに移動する。誰もいない空気に少なからず安堵した。

 ひとみはもう寝ているらしいな。午前様だから当然だろう。

「にゃんにゃ~」(今日ね、ねぇちゃが)

「しっ、寝ているひとみが起きてしまうでしょう。寂しかったのは分かりますから」

 俺の言ったことを理解して鳴くのを止めた八朔だったが、今度は頬をパンチをお見舞いしてきた。眉間にシワを寄せて、明らかに不機嫌な様子をありありと表わす。ひとみのことを伝えたいのか、八朔なりにアピールしているらしい。

 カバンを置いたついでに八朔も床に下ろして、宥めるように頭を撫でた。

「八朔は、本当に優しいコですね」

 頭を撫でた後に顎の下も撫でると、目を細めて幸せそうな顔をする。

「さっさと風呂に入って寝なければ」

 ゆっくり寝室の扉を開けて中に入り、タンスから自分の下着を取り出す。向きを変えて出ていく瞬間、目に入ってしまった。ベッドに横たわる君の目に涙の跡。

 途端に心がぎゅっと鷲掴みされたように痛んだ。

 痛む胸を抱えながら無意識に右手を伸ばして、親指で涙を拭ってしまった。次の瞬間、ふっと君が目を覚ましたので、伸ばしていた手を慌てて引っ込めて拳を作る。

「あ、お帰りなさい」

「ただいま。起こしてしまいましたね」

「今日も遅くまでお疲れ様です」

「いや……」

 何となくぎこちない会話から脱出したくて、顔を横に背けた。

「正仁さん、今日――」

「はい?」

 振り返るとベッドから起き上がり、眠そうな顔をしたまま俺を見つめる視線とぶつかった。

「あのえっと、久しぶりにキレてましたよね。取引先の会社の方なのに大丈夫なんですか?」

 ああ、会社での出来事ですか――

「彼はけん坊の部下なんです。けん坊に頼んでいた仕事を彼が持って来てくれたんですが、その仕事をしたのが彼で、けん坊は彼の失敗した仕事の穴埋めすべく、他所の会社に行ったそうなんです」

「そっか、それであんな大声で『貴方は何をやってるんですか、ここに来るべきではないでしょう』って叱ってたんですね」

 そのときのことを思い出しているのか、少しだけ困った表情を見せる。

「部下の失敗の責任とるのは上司のけん坊の勤めなのは当然ですが、一緒に頭を下げに行かせない上に俺の仕事を彼に押し付けるいい加減さは、さすがに頭にきました。それで説教していたら、こんなに遅くなってしまって」

「山田さん、早く仕事を終わらせていたら、こんな大惨事にならないで済んだのに」

「まったくです」

 憤慨した俺の言葉にハッとして、あわあわする君。

「疲れて帰って来てるのに、変な話をしちゃってごめんなさい。お風呂、今からですよね?」

「これから入ります。俺こそすみませんでした」

 ひとみの顔を一瞥してから寝室を出た。八朔が扉の前で難しい表情をしている。眉間のシワを伸ばすように一撫でしてから、浴室に向かった。
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