ドS上司の意外な一面
 次の日、それは玄関の扉が激しく閉まる音から始まった。

 鍵を開ける音がしてから扉が閉まる音がホントあっという間、しかも『ズガンッ』という音がしたのだ。びっくりして、リビングで飛び上がったくらい。

 怖くてビクビクしながら机の下に隠れて待機してたら、足音を立ててかなり怒っている感じの姉ちゃの足が見えた。程なくして、息をきらした兄ちゃが帰ってきた音が聞こえた。一体何があったにゃ?

 机の下でハラハラしながら、二人を仰ぎ見る。

「正仁さんが知らなかったのは、しょうがないと思いますよ。だけど嫌がってるのに、無理矢理連れて行こうとするなんて酷いです」

「折角長距離かけて行ったのに、何もせずに帰るなんて勿体ないじゃないですか」

「でもあそこは心霊スポットで有名なんです! 一緒に星を見たらどちらか一方が死んで、地獄に落ちると言われてる場所なんです」

 顔を真っ赤にして怒った姉ちゃを見るのは初めてだった。兄ちゃに向かって、こんな風に歯向かうなんて、何があったのかにゃ?

「はっ、そんな非科学的な事象、いつ起きたと言うんですか?」

「1%でもその可能性あるなら、私は行きたくないです。それとも私が死ねば新しい彼女と付き合うことができるから、強引に連れて行こうとしたんでしょ」

「そんなことあるわけがないでしょう、彼女とは何でもありません。理由はコレなんです」

 兄ちゃは胸ポケットから小さい箱を取り出して、姉ちゃにそっと手渡した。不機嫌な顔をしたまま箱を受け取り、カパッと中を開ける。

 中に入ってる物を指で摘まんで取り出し、繁々と眺める姉ちゃ。オイラの目には小さな花に見える、ピカピカ光る石のお花。

「ピアス……」

「バレンタインのお返しをどうしようかと考えて、女子社員が身に付けている物をチェックしていたんです。その中で、彼女が身に付けていたピアスに目がいきました。とても小さいのに、目を奪うデザインをしていましたから」

 目を伏せて思い出すように語る兄ちゃと、その姿をじっと見つめる姉ちゃ。

「思いきって彼女に話しかけて、売ってる店の場所を聞きました。そしたら突然、彼女が恋愛相談してきまして」

「正仁さんに恋愛相談……。そんな危険な賭けを彼女がしたんですか?」

「危険な賭けって、その表現は酷いですね」

 怒った顔から一転、呆れた目をして兄ちゃを見る。

「だって正仁さんってば、女心が全然分かってないんです。そんな人に恋愛相談するなんて、危険すぎます」

 腰に手をあてて豪語する姉ちゃに、兄ちゃは難しい顔をした。眉間にシワを寄せて、ムスッとしている。

「それでも何とかなりましたよ。あながち、危険な賭けでなかったということです」

「一体どんなアドバイスしたんでしょうね。『思い切って押し倒してみたらどうですか?』なぁんて言ったとか?」

「何で分かったんです?」

 憮然とした兄ちゃに、姉ちゃはギョッとした顔で一歩だけ体を後退させた。

「何で、それで上手くいくのか信じられない。奇跡としか言い様がないです」

「似たようなカップルが近くにいましたから。もしかしたら、上手くいくのではないかと言ってみたんです」

「似たようなカップル……。山田さんと叶さんですか?」

 姉ちゃは顎に手を当ててから、ハッとして兄ちゃを見上げた。その視線を受けて、どこか嬉しそうな表情を浮かべる。

「はい。彼女の想い人は同年齢だったんですが、半年も付き合ってるのに手を握る以上のことをしなかったので、いろいろ不安になっていたようです」

「何て清い関係!」

「好きな女に手を出せない男なんて、俺には信じられないですけど」

「そうですねぇ、女性側としたらもどかしく感じるかも」

「彼女も同じことを言ってました。俺の助言で思いきって行動したら、向こうからキスしてくれたと、泣きながら報告してくれました」

「泣きながらって、あのときの――」

 視線を伏せて顔を横に向け、ちょっとだけ辛そうな顔をした姉ちゃ。叶さんに電話した、あの日のことなのかな?

「顔があまりにも悲惨な状態だったので、会議室に誘導して落ち着かせました。あれじゃあ俺が泣かせてるみたいだったので、見られないように鍵をかけたんですが、君にはいらない誤解をさせたようですね」

 慈しむような眼差しで見てから、兄ちゃは姉ちゃの頬に触れた。

「たくさん泣いて目を腫らしてましたね、誤解するようなことをして」

「謝らないで下さいっ!」

 姉ちゃが兄ちゃの言葉を遮る。

「元を正せば私のお返しから始まってるワケなんだし、私が正仁さんをきちんと信じてたら、こんな心配をしないで済んだんです。だけど彼女から恋愛相談されたことくらい、教えて欲しかったです。夫婦なんだからちょっとしたことでも、分かり合えたらなって思うんですよ」

 兄ちゃが触れている手を、ぎゅっと両手で握りしめる。

「これからはそうします。女心は未だに分かりませんから……。だったら君も隠し事しないで下さいね」

「しませんよ」

「してるじゃないですか、大学時代に付き合ってた元カレに会ったこと」

「何で知ってるんですか? 叶さんに聞いたとか?」

「君と一緒に帰ろうと思って慌てて会社を出たら、元カレと話をしているのを見たんです」

「全然気がつきませんでした。どこから見たんですか?」

 姉ちゃが不思議そうな顔して兄ちゃを見ると、かなり困惑した顔をして視線をあちこちに飛ばした。こんなに困ってる兄ちゃを見るの、初めてかもにゃ。

「び、ビルの隙間に入り込んで、隠れながら聞いてました」

「ビルの隙間って、エアコンの室外機が置いてあるトコですよね。正仁さん、よく入れましたね。そんなトコに隠れてないで、堂々と声をかけてくれたら良かったのに」

「何か、入りにくい雰囲気でしたが……」

「正仁さんが乱入してくれたら、先輩があんなことを言わないで済んだと思うんです。自分から振っておいて、未練がましいことを言う先輩なんて見たくなかったですから」

 姉ちゃは兄ちゃの手を投げるように放して、俯きながら呟く。

「君はまだ、あの男のことを想って」

「想ってないですっ!」

「じゃあさっきの発言は何なんです? あんな風に言われたら、誤解を生むじゃないですか」

「自分の好きだった人が弱々しくなってる上に、元カノのことを引きずってる姿なんて見たくなかっただけなんです。自分から振ったくせにって」

 またしても姉ちゃが怒りだした。兄ちゃはどこか寂しげな顔をしたままだ。

「まぁ、確かに。付き合ってた相手の無様な姿は、あまり見たくないですね」

「正仁さんは女心が分かってないから、ここぞいうときがダメなんです。確かにこのピアスは嬉しかったけど、私が欲しいのは正仁さんと一緒に過ごす時間なんですよ」

「ひとみ……」

「ずっと仕事が忙しくて、まともに話す時間がなくてすれ違ってばかり。なのに彼女の話は、ちゃんと聞いてあげたんですよね。私、寂しかったんです」

「それは、済まないと思っています」

 兄ちゃが謝ると、姉ちゃは目にいっぱいの涙を溜めて睨んだ。

「まっ、正仁さんのうつけ者!」

 ワケの分からない言葉を言い放ち、姉ちゃは寝室の中に入って行った。勿論、扉をズガンッと閉める。

 あまりの煩さに耳を後ろにして兄ちゃを見上げると、メガネの奥の目が寂しそうに光っていた。泣いたのかにゃ?

 まじまじと見つめているとため息一つついて、そのままお家を出て行ってしまった。

 一体兄ちゃと姉ちゃは、どうなるにゃ……。
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