ドS上司の意外な一面
「にゃ~」

 兄ちゃが出て行ってしまった、もしかして戻ってこないかもしれない。うつけ者の意味は分からないけど、兄ちゃがすごく傷ついたのは見ていて分かった。

 ――人間って面倒な生き物だにゃ。

 オイラみたく喜怒哀楽を言葉で伝えれば(にゃ~語しか言えないけど)相手がどう思ってるのか分かるのに。

 かといってさっきみたく思ったことを言い合ったら、ケンカになるんだよなぁ。お互い好きあっているのに、どぉして上手くいかないにゃ。

 落ち着かなくて体の毛繕いを始めたら、姉ちゃが寝室から出てきた。

「にゃ~」

 オイラが駆け寄ると、寂しそうな顔をしてリビングを見渡す。

「正仁さん……出ていっちゃったんだ。当然だよね」

「にゃ~、にゃん」(姉ちゃも男心が分かってないにゃ)

「はあ。何かもう、頭がぐちゃぐちゃ」

 頭を抱え込んでしゃがんだと思ったらすぐに立ち上がり、戸棚の大きな扉を開けて、中から変わった形の瓶を取り出した。

「にゃ~」(何それ)

 いつも使わないコップを出して、テーブルに置く。

 オイラが椅子に上がりテーブルに前足をかけて、姉ちゃの様子を見た。相変わらず寂しそうな顔をしたままだった。

「今夜一緒に呑もうと思って、しまっておいたんだけど……」

「にゃん?」(呑むの?)

 瓶の蓋を開けるとキュポンといい音がして、開いた途端に鼻につくイヤな香りが漂ってきた。この香りは、兄ちゃがテンション高くなって帰って来たときに嗅いだことのあるニオイと同じものにゃ。

 もしかしてコレ呑むと、あのときの兄ちゃみたいになるのでは――ハッ!

「にゃにゃにゃにゃ~!」(呑んだらダメにゃ、お願いだから!)

「ふふ、変に静かだからって、気を遣って鳴いてくれてるの? それとも呑みたいとか?」

「にゃにゃん、にゃ~!」(違うにゃ~!)

「これはお酒だからあげれないよ、ごめんね八朔」

「んにゃ~」(頼まれても呑まないにゃ)

 琥珀色の水がコップの中に、なみなみと注がれていくことにドキドキした。そんなオイラの様子なんてお構い無しに、ねぇちゃは美味しそうにそれをごくごくと呑んだ。

「ふぅ、美味しい」

 姉ちゃを止めることができないので、隣に座って黙っていた。

 兄ちゃ、早く帰ってきてくれ。このままだと姉ちゃが壊れてしまうかもしれない。

 オイラの心配を他所に、注いでは呑んでを繰り返す。時折オイラの頭を撫でたりした姉ちゃ。顔がすっごく赤くなってます。

 気がつけば、瓶の中の水はなくなっていた。

 フラフラしながら空の瓶を持って立ち上がり、台所に向かう。ゴミ箱の傍に瓶を置いてから、冷蔵庫を開けてまた似たような瓶を取り出した。

「にゃ」(また呑む気じゃ)

 瓶の蓋に何かを突き刺してクルクル回し、スッポンと開けた。さっきまで使っていたコップに、赤い色の水が注がれていく。そして一口呑んで、ため息をついた。

「ん、美味しい」

「にゃ~」(もう止めよう)

「全く……。八朔は食い意地はってるんだから。これはお酒だからあげられないよ」

「にゃん、にゃ」(いらないにゃ)

 これはダメだと判断したオイラ。渋々椅子から下りると、さっき姉ちゃがゴミ箱の傍に置いた瓶に手をかけて、ガコンと倒した。かなり大きな音がしたのにも関わらず、姉ちゃはぼんやりしながら、黙々と呑み続けている。

 変わった形の瓶なので転がすのには苦労した。少しずつ玄関の方に誘導すべく、頭や体を使って押して進ませる。この非常事態を帰宅するであろう兄ちゃに、いち早く知らせたかったのにゃ。

 ちょうど玄関から見えそうな位置に移動ができたときに玄関の扉が開いて、兄ちゃが帰って来た。

「にゃあ、にゃん」(遅い、大変なことになってる)

 瓶に前足をかけて一大事をアピールしたオイラに、兄ちゃは玄関で固まった。じっと見つめ合う、兄ちゃとオイラ。

「八朔、そのブランデーの空瓶をどこから持ってきたんですか? 確か戸棚の奥にしまってあったと記憶しているのですが」

「にゃあにゃあ、にゃん」(姉ちゃが呑んだにゃ)

「まさかとは思いますが、ひとみが全部呑み干したんですか?」

 オイラは右前足で瓶をパシパシ叩いた。兄ちゃは慌てて腕時計を見る。

「俺が出掛けてから、大体一時間とちょっと。かなりハイペースで呑んだな」

 持ってた荷物を玄関に置いて空瓶を掴み、リビングに向かう兄ちゃと一緒に入って行った。

「ひとみ大丈夫ですか? って、赤ワインまで開けてるんですか!?」

 兄ちゃが慌ててテーブルに置かれていた瓶を、姉ちゃから取り上げる。

「何するんですかっ、呑みたい気分なんですから呑ませて下さい」

「君はお酒弱いんですから、もう止めないとあとから具合が悪くなってしまいますよ」

「放っておいて下さい。具合悪くなろうが、正仁さんに関係ないでしょ」

 テーブル上で瓶の取り合いをする二人に、ハラハラした。何とかしたい――今、自分のできることって何だろ?

 普段やったら怒られることのひとつ。思い切ってテーブルに上がり、瓶を持つ姉ちゃの手を迷うことなくガブリと噛んでやった。

「痛っ! 八朔何するの」

「にゃあ」(いい加減にすれよ)

「八朔までなんで、私を止めようとして腕に爪をたてるの?」

「にゃにゃにゅにゃ~」(姉ちゃが分らず屋だから~)

「八朔すみません、ひとみがこんな風になったのは俺のせいなんです。痛いことを止めてあげて下さい」

「にゃあにゃん」(兄ちゃ)

 オイラが前足を姉ちゃから放すと、二人が瓶をテーブルに置いた。

「八朔、今回は許しますけど、もうテーブルに上がってはダメですよ」

 微笑みながら兄ちゃがオイラの頭をガシガシ撫でる。何となく恥ずかしくて肩をすぼませながら、手の平の温もりを感じた。

 兄ちゃが帰って来てくれて良かったと心から安心して姉ちゃの方を見ると、複雑な顔をしたまま佇んでいた。

「君は一体、何を考えているんです?」

 オイラに話しかけたときとは違う怒気を含んだ声が、お部屋に響いた。

「こんなにハイペースで度数の高い酒を呑んだら、急性アルコール中毒になる可能性があるんです。ましてや君は、お酒に強くないんですから」

「私がアル中になったって、正仁さんには関係ないです。放っておいて下さい」

「まったく、かなり酔っ払ってますね」

 兄ちゃが姉ちゃに向かって右手を伸ばして、頬に触れようとしたら――

「嫌っ、触らないでっ」

 パシッとその手を叩く。姉ちゃが兄ちゃを完全に拒絶した。

「正仁さんなんか……キライです」

 キライと言われてるのに兄ちゃは優しい目をして、姉ちゃをじっと見つめている。どぉしてこんなに、落ち着いてられるのかにゃ? オイラは嫌いなんて言われた日にゃ、大好きなゴハンが喉を通らなくなると思う。

「あのときと同じですね。今となっては懐かしいです」

「あのときって?」

「俺が君に告白の歌を唄った後に、告白の返事を聞いたときと同じ状況だと思いまして。そうやって背を向けて肩を震わせながら、無理ですって言いましたよね」

「あ……」

「嘘をつくのが下手だから、バレバレなんですよ。どうして、俺を遠ざけようとしたんです?」

「これはその……嘘じゃないですから」

 そっぽを向いた姉ちゃに、ちょっとだけ近づく。

「じゃあ俺の目を見て、それを言って下さい」

 姉ちゃの体がピクリと動いた。兄ちゃは腕組みをしたまま、じっとしている。振り向く姉ちゃが遠慮がちに口を開きかけたそのとき。

「おいで」

 腕組みを解いて、両手を広げた兄ちゃ。
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