ドS上司の意外な一面
***

 四月に入り、お外がめっきり暖かくなった。窓から差し込むお日さまで、優雅に日向ぼっこをする。

 今日はお仕事がお休みなのか、兄ちゃと姉ちゃが家にいた。何故か、オイラの大キライなヤツまで一緒なのが不満。アクビがたくさん出て眠りたいのも山々なれど、いつ何をされるか分からないので気が抜けない。

 ヤツは姉ちゃと一緒に台所にいるが、ここから距離はあるので時折視線を飛ばし、耳を後ろにしてヤツの動向を観察した。

「先月はひーちゃんに、本当に悪いことをしてごめんね。あの後まさやんが帰ってから、叶にこっぴどく叱られてさ。気付けば午前三時だったよ」

「ふふふ、相変わらず仲がいいんですね」

「え~、そこ仲がいいって言う? 絶対にひーちゃん達の方が、ラブラブだと思うよ」

 ちらっと後方のソファに座って、本を読んでる兄ちゃを見る。オイラから見ても、明らかに兄ちゃのイメージと似合わない本を読んでいるように感じた。

 姉ちゃがキチガイ水をたくさん呑んだ日に、どこかへ出掛けた兄ちゃ。今、読んでいるのは人間の顔をしているのに、とても目が大きい表紙の本を買ってきたみたいで、お休みの日にいつもじっくりと読んでいた。

『ん~……。俺なら主人公に横暴な態度をとるコイツよりも、さりげない優しさのある彼を選びますが』

※ちなみにまさやんが読んでいるマンガは『花より団子』だったりするw

 等々ポツリと独り言を呟いては、姉ちゃにツッコミを入れられて、ワイワイ(というよりイチャイチャ)していた。

 ケンカしてるよりは、マシにゃんだけど……。

「まさやんが苺のミルフィーユで、ひーちゃんがモンブラン、俺はチーズケーキでヨロシク!」

 持参した手土産に、ちゃっかり指示するヤツに対してゲンナリした。誰がどれを食べても、いいと思うにゃ!

「でも良かったね、まさやんが不倫してなくて」

「それを言わないで下さい。私がいろいろ誤解しちゃったせいなんですから」

「そんでもって叶から聞いたんだけど、やっと仲直りした二人の前に、ひーちゃんの元カレが会社の前で、わざわざ出待ちしていたんだって? 次々と何かあるね」

「ううっ、それも禁句です……」

 姉ちゃが右手親指を後方に向けると、ヤツがその視線の先を辿り、ヒッと変な声をあげた。兄ちゃの体から、何かが出ているように見える。その何かに殺られてヤツは固まった。

「俺にこの間、お説教してきたものよりも凄い――怒りのオーラが、ぶわぁっと漂っている」

「最初に元カレを発見して騒いでいたのが、小野寺先輩なんですけど」

 姉ちゃがそのときのことを思い出しながら、楽しげな声で説明していく。



『早く仕事終わらないかなぁ。就業時間の残り十分が一時間に感じる』

 そんな愚痴を小野寺先輩が言いながら窓辺に近づき、外をぼんやり眺めていた。

『ん? 見慣れない長身の爽やか男子発見。うちの会社の女の子でも待っているのかな』

 小野寺先輩の発言に、もしやと思った私は正仁さんを気にしつつ、窓辺から外を覗いてみた。

「っ……先輩」

『なになにっ、鎌田さんの知り合いなんだ。先輩っていうと高校か大学時代の?』

 小野寺先輩の言いかけた言葉を遮るようなミシミシ音が、後方から聞こえてきた。あまりの異音に私たちだけじゃなく、部署の皆が正仁さんを見ていたと思う。

 手にしている青いファイルの表紙を、あらぬ方向に折り曲げていた。

『鎌田課長、顔が冷静なだけにやってること怖っ……。もしかして爽やか男子、元カレだったりする?』

 その質問に顔を引きつらせながら、静かに頷くしかなかった。部署の皆もあまりの怖さに、誰も言葉が出ない状態。電話中の人、大丈夫なのかな――

 変な方向にネジ曲がったファイルの表紙をメキメキッと戻して、正仁さんがゆらりと席を立つ。窓辺に近づいてきたので身震いしていた小野寺先輩を引っ張り、そこからどけると冷たい視線を外に向けた。

「ふん!」

 正仁さん一言だけ言い放ち、足早に部署を出て行った。

『ひ~怖かった……。ありゃ歩く核爆弾だよ。全身から核を放出してるって。きっと元カレ、即死間違いないね』

 小野寺先輩が戦々恐々としていた。正仁さんがどんな風に話し合いをしたのか、途中でかけつけた私には分からないままだった。だけどその後、先輩が現れることはなかったのである。

「私、何度も正仁さんに叱られてますけど、あのときの怒り方は普通じゃなかったです。先輩ってば恐ろしさのあまりに、うなされてなきゃいいんだけど」

 耳元でコソコソ喋る姉ちゃに、ヤツは激しく頷いた。

「俺も叱られたときに鬼神を見た気がしたんだけど、きっとそれ以上だったんだろうな。元カレさん御愁傷様、南無南無」

「お前ら何を、コソコソ話をしているんです?」

 兄ちゃは持っている本をバシンとテーブルに置き、不機嫌100%と言わんばかりに眉間にシワを寄せて台所を見る。

「まっ、まさやん、ハッチの去勢手術はどうなったの?」

 オイラをダシに使って、慌てた様子で話を誤魔化した。するとさっきまでの不機嫌な顔を一気に曇らせて、言葉を詰まらせる。

「八朔の心臓に欠陥が見つかって、手術ができなくて」

「欠陥? 確かにハッチって他の猫に比べると、小柄なコだなぁと思ってたんだけど」

「余命三年だそうだ。一生、薬を飲み続けなきゃならない」

 兄ちゃが言い終わらないうちにヤツがダッシュしてきて、オイラを小脇に抱えた。なぜ、普通の抱き方ができないのかにゃ。

「ハッチ! 頑張って長生きするんだよぅ」

 小脇に抱えたオイラの頭を、容赦なくガシガシ撫でまくる。

「頼まれなくても長生きさせるさ。だからけん坊も、八朔の嫌がることを極力しないように」

 兄ちゃが言ってるのに、高い高いをしてブンブン振り回す。目が回るにゃ。

「まあ俺らは余命を告げられていないだけで、いつ死ぬかは分からないんだから、八朔同様に一生懸命生きなきゃだよな」

 オイラが振り回されてる様子を、呆れた顔をして見つめる。そんな兄ちゃの傍に姉ちゃが佇んだ。

「山田さんコーヒーが入りましたよ、ケーキと一緒にどうぞ」

「ああ良い薫り、戴きます」

 オイラを放り投げるようにして床に置くと、テーブルの前にきちんと着席したヤツ。もっと丁寧に扱うことができないかにゃ。

 プンスカしながら、テーブルの上に並んでいるモノを見渡してみる。

「にゃ、にゃん!」

 並んでいるものが目に入ったせいでテーブルに手をついて、つい身を乗り出してしまった。コップの傍にある、小さくて白い容器に釘付けになったにゃ!

「まさやんタバコ変えたの? 黄色地の上に若草色のストライプや双葉を模した模様のパッケージの銘柄って、おじいちゃんが吸うイメージなんだけど」

「今月小遣いがピンチなんだ、しょうがないだろ」

「これをいい機会に、私としては止めて欲しかったんですけどね」

 左肘で兄ちゃをつつく姉ちゃ。

「止めることができたら、とっくに止めてます。諦めて下さい」

「もう、体のために言ってるのに」

「ラブラブご馳走様。ねえ、ハッチにミルクの蓋をあげても大丈夫?」

 コーヒーに入れた後に、容器の蓋に少量付いたミルクをちゃっかり頂戴していたオイラ。体のことを考えてなのか、ヤツは兄ちゃにわざわざお伺いをたてた。そんなことをしなくていいのに。

「けん坊はむしろ、あげたいんだろう? このときだけ八朔が自分の傍に来るんだから」

「ハッチ、お許しが出たよぅ。こっちにおいで」

 喜んでオイラを呼びつける姿にゲンナリしたが、大好物を前にしたらしょうがない。

 喜びを隠すためにゆっくりした足取りでヤツの前にひれ伏し、ミルクの蓋を舐めた。濃厚な味が舌に染み渡る。あまりの美味しさに、なくなっているのも分からず、つい舐め続けてしまった。

「こらこらハッチ、もう無いんだから止めようね」

「にゃにゃあ」(もっとよこせ)

「まったく食いしん坊だなあ」

「に゛、にゃ」(オマエに言われたくない)

 オイラたちのやり取りを目を細めて眺める兄ちゃ。

「以前読んだ本の中に、猫には未来を感じる能力が欠如していると書いてありました」

「明日を感じないのって、どんな風なんでしょうね。常に明日の食事はどうしようとか、仕事の段取りはどうしようって、いろいろと考えちゃうから」

「俺、ハッチになりたいかも。明日のことなんて、何も考えたくないから」

 三人揃ってオイラを見る。一体、何事?

「先のことは分からないから不安要素ばかりを思い描きますが、明るい未来にするには今を楽しく過ごせばいいと思うんです」

「さすがは正仁さん」

「楽しいだけじゃ飽きるから、たまには辛いことも経験しなくちゃだよね」

「だからけん坊は俺に叱られるために、わざと何かしらやらかしているのか?」

 兄ちゃはいつものように片側の口角を上げて、ヤツを見る。

「そんなぁ。わざわざ怒られるようなことをしたくて、やってるワケじゃないやい」

「叶さんも毎日、怒り疲れてるって言ってましたよ」

「あ~も~、俺どんだけダメ人間」

 兄ちゃと姉ちゃが楽しそうに声をあげて笑うと、口を尖らせたままテーブルに突っ伏した。

 ヤツのことは置いておいて、楽しくて騒がしいこの雰囲気が好き。たまにオイラを会話に交ぜてくれる兄ちゃ、体に良くないと知りつつも、ちょっとだけねと好物をくれる姉ちゃ。

 毎日が、楽しいことや嬉しいことがいっぱいで幸せにゃ。

「ひーちゃん、コーヒーのお代わりもらってもいい?」

「あ、今、用意しますね」

「ハッチ、またミルクの蓋あげるからね」

「にゃ」(ありがとう)

 たまに来るコイツはイヤだけど、好物をくれるから我慢するにゃ。

 鎌田さん宅に居候してちょっとしか経ってないけど、ホントの家族のように接してくれる兄ちゃと姉ちゃに何かしてあげたい。

 頼りないこんなオイラですがヨロシクの意味を込めて、兄ちゃの膝に体を擦り寄せながら上がった。

「こら八朔、ケーキのビニールについた生クリームは、絶対にあげませんよ」

 ――ありゃ、バレた……。
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