Piano~ピアノ~
Piano:叶side⑬
***
その日賢一くんはバイトがあり、直接私の自宅に来ることになっていた。何でも、教えてほしい課題があるらしい。
テーブルで課題と格闘する彼の向かい側で、いつも通りパソコンで仕事をしていた。
賢一くんが何か話しかけてくれてるんだけど、私の頭の中は昼間の水戸部長の話がずっとあって、生返事しかできなかった。
そんな私の異変に気がついたんだろう、賢一くんが顔を覗き込んでくる。
「叶さん、どうしたの?」
澄んだ瞳が、私の心を捉える様にじっと見つめてきた。
――いつも素直で真っすぐな目。
見透かされそうな瞳を避けるように、視線を逸らす。困惑を知られたくなくて、不機嫌になるしかない。
「君に心配される覚えはないから。ちょっと仕事が忙しくてダルいだけだし」
咄嗟に嘘をついてしまった。それを誤魔化すように咳払いをして、パソコンの画面に向き合う。だけど手を動かすことができなかった。
落ち着くことの出来ない自分の気持ちはどうしようもない上に、整理が全然つかない。頭では分かっているはずなのに……。
「叶さん、俺でよければ相談にのりますよ。何か、あったんですよね?」
ここ数か月一緒にいたせいか、最近賢一くんの読みが外れない。誤魔化しがきかなくなっていた。
「年下に相談してもね……」
「叶さん、どうしてそんなことを言うんですか? ワザと俺を傷つけるような発言して自分を傷つけてる」
私の態度に賢一くんが怒るのは当然だ。いつも彼に甘えてばかりの自分……本当に最低。
「賢一くんに余計な心配をかけたくなくて……。君の気持ちを知っていながら、甘えてばかりだし」
素直に自分の気持ちを伝えてみた。
賢一くんの顔をちらっと見たら、難しそうな顔して何か考えている。
「プライベートなことで悩んでるでしょ。例えば恋愛のことかな?」
たどたどしく告げた賢一くんに、何でそう思うか聞いてみた。
「俺のアテにならない勘……」
頭を掻きながら答える。
自分では気づいてなかったけど、言葉や態度で表れていたのかもしれない。
「私の片思いなの。諦めなきゃいけない恋なんだけどずっと諦めきれなくて、ね」
気が付いたら賢一くんを、ぎゅっと抱きしめていた。
あまりにも辛い現実に心が壊れかけていた。さっきからずっと悲鳴を上げていた……。いつかは来るであろう別れは、どうしても受け入れたくなくて――簡単に割り切れるわけがない。
「そろそろ踏ん切りつけなきゃいけないって分かっているんだけど、なかなか……ね」
ずっと好きな人だった。今だって好きだからこんなに苦しんでる。
賢一くんを抱きしめる腕に、どんどん力が入った。
「うん……。気持ちは考えても、うまく整理つかないもんです」
彼もこんな私に片思いをしている。きっと同じなんだ。
そう思って顔をあげたら、ヒョットコのような賢一くんの顔が目の前にあった。こんなシリアスな状況に不釣り合いな顔をしているのが可笑しくて、つい笑ってしまった。
私を笑わせることができる天性の素質の持ち主が、抱きしめ方が悪いと苦情を言う。苦笑いしながら賢一くんの体に、そっと腕を回し直した。
そんな私を優しく抱きしめ返してくれる。賢一くんの心地よい体温に身を任せてみた。胸からは早い鼓動が聞こえてきて、何故だかすごく落ち着くことができた。
言葉だけじゃなく、体も正直なんだね。
少し落ち着きを取り戻しかけていた私に、賢一くんが提案する。
「俺、叶さんがその人を忘れられるまで待ってます。話を聞いたり、こんな風に抱き締めることしかできない頼りない俺だけど、いつまでも待ってます」
賢一くんの鼓動が、更に早まった。
「こんな私でいいの?」
「叶さんじゃないと駄目っす」
はっきりと断言する。
その後、ぎゅっと抱き締めたと思ったら、急に手を離す賢一くんに驚いた。
「叶さん、そろそろ離れないとヤバいです……」
両手をバンザイしたまま、視線をそらしながら言う。何でこんなときに謙虚になっているんだろう。他の男なら弱っているトコをついて、押し倒しているシーンだというのに。
「賢一くんとならいいよ」
そう言うと、ギョッとした顔でこっちを見た。逃げかける彼の体を両腕で掴んでやる。
私の肩を掴んで引き離そうと必死にもがく彼に、ぎゅっとしがみついた。
「だっ、ダメっすよ。好きでもない男と一夜を共に過ごすなんて」
そんな彼の体にしがみつきながら思いきって告げてみる。これは曇りのない、今の私の気持ち――
「今夜彼を忘れさせて……。賢一くんの想いを私にちょうだい?」
頑なに抵抗する賢一くんの首に、そっと腕を絡める。
「こんなことをしたら、絶対に後悔し――」
何かを言いかけた彼の唇に、自分の唇を押しつけた。一瞬彼の動きが止まったのを見計らって、強引に押し倒す。
そうして唇を重ね直したら、今度は賢一くんが私を求めるようにキスをしてきた。息が止まりそうな程の熱いキスに、頭の芯がビリビリする。
トロンとしていると、耳元で声がした。
「叶さん、好きです」
彼の手で優しくベッドまで運ばれて、そのまま朝を迎えた。
賢一くんは後悔すると言ってたけど、逆に史哉さんへの諦めがついた。こんな私を受け入れてくれた賢一くんとなら、うまくやっていけると確信したからである。
その日賢一くんはバイトがあり、直接私の自宅に来ることになっていた。何でも、教えてほしい課題があるらしい。
テーブルで課題と格闘する彼の向かい側で、いつも通りパソコンで仕事をしていた。
賢一くんが何か話しかけてくれてるんだけど、私の頭の中は昼間の水戸部長の話がずっとあって、生返事しかできなかった。
そんな私の異変に気がついたんだろう、賢一くんが顔を覗き込んでくる。
「叶さん、どうしたの?」
澄んだ瞳が、私の心を捉える様にじっと見つめてきた。
――いつも素直で真っすぐな目。
見透かされそうな瞳を避けるように、視線を逸らす。困惑を知られたくなくて、不機嫌になるしかない。
「君に心配される覚えはないから。ちょっと仕事が忙しくてダルいだけだし」
咄嗟に嘘をついてしまった。それを誤魔化すように咳払いをして、パソコンの画面に向き合う。だけど手を動かすことができなかった。
落ち着くことの出来ない自分の気持ちはどうしようもない上に、整理が全然つかない。頭では分かっているはずなのに……。
「叶さん、俺でよければ相談にのりますよ。何か、あったんですよね?」
ここ数か月一緒にいたせいか、最近賢一くんの読みが外れない。誤魔化しがきかなくなっていた。
「年下に相談してもね……」
「叶さん、どうしてそんなことを言うんですか? ワザと俺を傷つけるような発言して自分を傷つけてる」
私の態度に賢一くんが怒るのは当然だ。いつも彼に甘えてばかりの自分……本当に最低。
「賢一くんに余計な心配をかけたくなくて……。君の気持ちを知っていながら、甘えてばかりだし」
素直に自分の気持ちを伝えてみた。
賢一くんの顔をちらっと見たら、難しそうな顔して何か考えている。
「プライベートなことで悩んでるでしょ。例えば恋愛のことかな?」
たどたどしく告げた賢一くんに、何でそう思うか聞いてみた。
「俺のアテにならない勘……」
頭を掻きながら答える。
自分では気づいてなかったけど、言葉や態度で表れていたのかもしれない。
「私の片思いなの。諦めなきゃいけない恋なんだけどずっと諦めきれなくて、ね」
気が付いたら賢一くんを、ぎゅっと抱きしめていた。
あまりにも辛い現実に心が壊れかけていた。さっきからずっと悲鳴を上げていた……。いつかは来るであろう別れは、どうしても受け入れたくなくて――簡単に割り切れるわけがない。
「そろそろ踏ん切りつけなきゃいけないって分かっているんだけど、なかなか……ね」
ずっと好きな人だった。今だって好きだからこんなに苦しんでる。
賢一くんを抱きしめる腕に、どんどん力が入った。
「うん……。気持ちは考えても、うまく整理つかないもんです」
彼もこんな私に片思いをしている。きっと同じなんだ。
そう思って顔をあげたら、ヒョットコのような賢一くんの顔が目の前にあった。こんなシリアスな状況に不釣り合いな顔をしているのが可笑しくて、つい笑ってしまった。
私を笑わせることができる天性の素質の持ち主が、抱きしめ方が悪いと苦情を言う。苦笑いしながら賢一くんの体に、そっと腕を回し直した。
そんな私を優しく抱きしめ返してくれる。賢一くんの心地よい体温に身を任せてみた。胸からは早い鼓動が聞こえてきて、何故だかすごく落ち着くことができた。
言葉だけじゃなく、体も正直なんだね。
少し落ち着きを取り戻しかけていた私に、賢一くんが提案する。
「俺、叶さんがその人を忘れられるまで待ってます。話を聞いたり、こんな風に抱き締めることしかできない頼りない俺だけど、いつまでも待ってます」
賢一くんの鼓動が、更に早まった。
「こんな私でいいの?」
「叶さんじゃないと駄目っす」
はっきりと断言する。
その後、ぎゅっと抱き締めたと思ったら、急に手を離す賢一くんに驚いた。
「叶さん、そろそろ離れないとヤバいです……」
両手をバンザイしたまま、視線をそらしながら言う。何でこんなときに謙虚になっているんだろう。他の男なら弱っているトコをついて、押し倒しているシーンだというのに。
「賢一くんとならいいよ」
そう言うと、ギョッとした顔でこっちを見た。逃げかける彼の体を両腕で掴んでやる。
私の肩を掴んで引き離そうと必死にもがく彼に、ぎゅっとしがみついた。
「だっ、ダメっすよ。好きでもない男と一夜を共に過ごすなんて」
そんな彼の体にしがみつきながら思いきって告げてみる。これは曇りのない、今の私の気持ち――
「今夜彼を忘れさせて……。賢一くんの想いを私にちょうだい?」
頑なに抵抗する賢一くんの首に、そっと腕を絡める。
「こんなことをしたら、絶対に後悔し――」
何かを言いかけた彼の唇に、自分の唇を押しつけた。一瞬彼の動きが止まったのを見計らって、強引に押し倒す。
そうして唇を重ね直したら、今度は賢一くんが私を求めるようにキスをしてきた。息が止まりそうな程の熱いキスに、頭の芯がビリビリする。
トロンとしていると、耳元で声がした。
「叶さん、好きです」
彼の手で優しくベッドまで運ばれて、そのまま朝を迎えた。
賢一くんは後悔すると言ってたけど、逆に史哉さんへの諦めがついた。こんな私を受け入れてくれた賢一くんとなら、うまくやっていけると確信したからである。