Piano~ピアノ~
後頭部を硬い物で殴られた感じ、しかも連打で……。
叶さんが不倫していたという事実。諦めようとしても、諦められないくらい好きな人。その男性に抱きかかえられている彼女を、すぐそばで見ることが辛かった。
変な緊張感で喉が干上がってしまう。ムダに両手が震えるのを抑えるのに必死になった。
俺とこの人とじゃ、天地の違いだ。どうりで俺に好意を抱かないわけだよな。キャラから何から、すべてが違いすぎるのだから。
「扉の開閉を頼んでいいかい?」
物腰の柔らかい話し方は学生の俺に対して見下すような扱いじゃなくて、きちんとした大人の対応だった。
「はい、どうぞ」
会社の扉を開けて、ふたりを先に入れてあげた。
「医務室は向かって、右側の奥にあります」
「分かりました」
俺はふたりよりも早く医務室に行き、扉を開けておく。水戸さんは時々気遣うように、叶さんの顔を見ていた。
心配そうな目をしているけど、どこか愛しそうに見つめているように感じられた。
(叶さんは俺のだっ!)
喉の奥から出そうになるのを何とか堪えた。だって今はそれどころじゃない。
両手を握りしめて、いろんな感情を必死に我慢する。
青白い顔の叶さんをベッドに寝かせて、傍にある椅子に腰かけた水戸さん。俺はこれ以上何もすることがないので、失礼しようと口を開きかけた。
「まったく叶は、相変わらず頑張りすぎなんだよな……。何も食べてない状態で残業したり、無理して貧血を起こしたんだろうから」
「そう……ですね」
きっと睡眠時間も削っていただろう。いつもそうやって、仕事に全力投球する人だから。
「君は今、叶の彼氏なんだろ?」
唐突に聞いてきた言葉に、何と返事をしていいか詰まる。だけど彼の口から『彼氏』というのが出てきた以上、否定したくないと考えた。
「はい……」
だけどそれ以外の言葉が出てこなかった。水戸さんから見たら、とても頼りない彼氏に見えるだろうな。
「俺はまだ叶が好きだ、諦めたくない」
そう言って、挑むような目で俺を見る。その視線を受けながら、やっと言葉を見つけた。勇気を振り絞るように両手をぎゅっと握りしめて、噛み締めるように覚悟を決める。
「でも水戸さんは結婚してますよね? それって――」
「妻とは別れる。俺が彼女と不倫しているのが分かってしまったからね」
「だけど今、叶さんは俺と付き合ってますっ!」
叶さんが俺を好きかどうかは分からないけど……。
すると立ち上がった水戸さんが、俺の前に挑むように見下してきた。大人の威圧感がひしひしと漂ってきて、思わず一歩だけ退いてしまった。
「俺は負け戦しない。奪う自信があるよ」
水戸さんから告げられた言葉で、ふと考えた。
叶さんがずっと好きだった水戸さん。俺が諦めれば、すべて丸く納まるのではないかと――彼女の幸せを叶えてあげたい。好きな人の傍で柔らかく微笑む、叶さんの笑顔が見られるのなら……。
それはとても辛いし、胸が痛いくらい苦しい。マイナスの感情のせいで、体の震えが止まらないものだけど。
俺は下唇を噛んで踵を返し、医務室から走って出て行くしかなかった――反撃する言葉を飲み込んで、逃げるように去るしかできなかったのである。
叶さんが不倫していたという事実。諦めようとしても、諦められないくらい好きな人。その男性に抱きかかえられている彼女を、すぐそばで見ることが辛かった。
変な緊張感で喉が干上がってしまう。ムダに両手が震えるのを抑えるのに必死になった。
俺とこの人とじゃ、天地の違いだ。どうりで俺に好意を抱かないわけだよな。キャラから何から、すべてが違いすぎるのだから。
「扉の開閉を頼んでいいかい?」
物腰の柔らかい話し方は学生の俺に対して見下すような扱いじゃなくて、きちんとした大人の対応だった。
「はい、どうぞ」
会社の扉を開けて、ふたりを先に入れてあげた。
「医務室は向かって、右側の奥にあります」
「分かりました」
俺はふたりよりも早く医務室に行き、扉を開けておく。水戸さんは時々気遣うように、叶さんの顔を見ていた。
心配そうな目をしているけど、どこか愛しそうに見つめているように感じられた。
(叶さんは俺のだっ!)
喉の奥から出そうになるのを何とか堪えた。だって今はそれどころじゃない。
両手を握りしめて、いろんな感情を必死に我慢する。
青白い顔の叶さんをベッドに寝かせて、傍にある椅子に腰かけた水戸さん。俺はこれ以上何もすることがないので、失礼しようと口を開きかけた。
「まったく叶は、相変わらず頑張りすぎなんだよな……。何も食べてない状態で残業したり、無理して貧血を起こしたんだろうから」
「そう……ですね」
きっと睡眠時間も削っていただろう。いつもそうやって、仕事に全力投球する人だから。
「君は今、叶の彼氏なんだろ?」
唐突に聞いてきた言葉に、何と返事をしていいか詰まる。だけど彼の口から『彼氏』というのが出てきた以上、否定したくないと考えた。
「はい……」
だけどそれ以外の言葉が出てこなかった。水戸さんから見たら、とても頼りない彼氏に見えるだろうな。
「俺はまだ叶が好きだ、諦めたくない」
そう言って、挑むような目で俺を見る。その視線を受けながら、やっと言葉を見つけた。勇気を振り絞るように両手をぎゅっと握りしめて、噛み締めるように覚悟を決める。
「でも水戸さんは結婚してますよね? それって――」
「妻とは別れる。俺が彼女と不倫しているのが分かってしまったからね」
「だけど今、叶さんは俺と付き合ってますっ!」
叶さんが俺を好きかどうかは分からないけど……。
すると立ち上がった水戸さんが、俺の前に挑むように見下してきた。大人の威圧感がひしひしと漂ってきて、思わず一歩だけ退いてしまった。
「俺は負け戦しない。奪う自信があるよ」
水戸さんから告げられた言葉で、ふと考えた。
叶さんがずっと好きだった水戸さん。俺が諦めれば、すべて丸く納まるのではないかと――彼女の幸せを叶えてあげたい。好きな人の傍で柔らかく微笑む、叶さんの笑顔が見られるのなら……。
それはとても辛いし、胸が痛いくらい苦しい。マイナスの感情のせいで、体の震えが止まらないものだけど。
俺は下唇を噛んで踵を返し、医務室から走って出て行くしかなかった――反撃する言葉を飲み込んで、逃げるように去るしかできなかったのである。