スリジエの花詞
「お嬢様、夕食は何にしましょうか。何か食べたいものはございますか?」


帰宅して開口一番に伊尾はそう言った。
その姿がいつも通りの伊尾であることに、なぜか胸が痛んだ。

明日も明後日も、その先も変わらず私の傍に居るのだと思っていた昨日の私は、どこに行ってしまったのだろう。


「…ケーキが食べたい」


らしくもない、甘い食べ物を所望したことに伊尾は怒りも驚きもしなかった。
食後に食べましょうね、と優しく笑ってエプロンを身に着けている。

キッチンで料理をする姿なんて数えきれないくらいに見てきたのに、まじまじと見てしまうのは、父の所為だ。


今日は金曜日。明後日になったら、私の傍から伊尾がいなくなる。

現実を確かめるために時計を見れば、針は19時を指していた。

彼が私の傍からいなくなるまで、あとどれだけの時間があるのだろう。

そう思ってはいても、数えようとは思わなかった。そんなことをしたら、世界中の時計の針を止めたくなってしまう。


どんなに足掻いたって、抗ったって、時は止まらない。

だから、母は死んでしまったのだ。
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