ブロンドの医者とニートな医者

あり得る女子会


 通常、この3人で食事会に行くことなどない中で、何故招集されたのか分からないままに、奏はその日残業を予定通りで切り上げ、約束の時間に退社していた。

 アボット玲奈の表情からは、この会を何としているのか読み取れず、また幹事の滝宮律子の見慣れた顔からも、何も浮かんでは来ない。

 イタリアン料理店で女子会コースを注文し、とりあえず玲奈のインスタの写真撮影が終わってから、飲み物に手を付け始めた。

「私、思うんですけど」

 言い出したのは玲奈だった。

 それを聞いた奏は、今日の主軸となる話だと予感し、手を止めた。

「春井さん、なんでうちの課に来たんですかね」

「……」

 順序から言えば、課長である春井よりも後に玲奈が入社したわけだが、そんなことはまるで関係がないらしい。

 律子もそれに気づいただろうが、いつものことなので無視して、答えた。

「……多分だけど、うちの課でいて、その後どっか海外行って、部長に昇進すると思うよ。前任がそうだったし」

「へー……」

 全く予想もしたことがなかった。普段のほほんとのらりくらりとしている春井に、そんな道が用意されていたとは。

 それに、驚きを通して、それほど仕事をしていたんだとも感心をした。

「やっぱり」

 玲奈のそのしったかぶりなセリフに予想通りカチンときた律子は、

「何なのよ」

と、あからさまに睨んでみせた。

「コートジボワール行きの話してたんですよ。ちらっと聞いたんですけど」

「うっわ」

 律子は、グラスを持ったまま、大きく背を引いた。中のワインが少し揺れる。

「ちょっとー、コートジボワールってさあ……前任も何年か前に行ったんだけど、その時課の子1人連れて行ったんだよ。私絶対嫌だからね」

「同じところに2人もですか?」

 奏は、不思議に思って聞く。

「うん、マーケットが大きいからね、助手として女の子連れて行ったの。でもその子と前任は何もなかったわ。山田系だったからね」

 なるほど、連れていかれた部下はどうやら男性ウケしないタイプだったようだ。

「あ、しかも、前任は家族と帯同で行ったんだった」

「へー、でもそれだったら、独り身の春井課長は気楽に行けますね」

 玲奈が淡々と言う。

「そうだけどさぁ、ってことはその間誰が課長になるのって話じゃない。私の予想では代理がそのまま上がってって感じになると思うけどね」

「あぁ……代理は優しいからいいですね」

 勝手に人事を整理していた律子と奏の間に、玲奈が釘を差し込んでくる。

「……だとしたら、誰が課長と一緒に行くと思います?」

 その言葉に、

「私は絶対行かないから」

と、律子が本気で言い切る。

「もし行けって言われたら、辞表書きます?」

 いつもの事といえばそうだが、時として玲奈の言葉には裏があることがあるので、今このタイミングで何故そんな攻撃的に質問したがるのか意図が見えないだけに、奏は素早く

「そりゃあ、その時は、行くでしょ。そんなまさか、辞表なんか……だって行くたって、一生じゃないし」

 と、フォローしたが、律子の表情は真剣そのもので。

「辞表書くわ、絶対」

 絶対死ぬとか、律子の絶対はよくあるのだが、今日の絶対はいつもと全く違うものであることは、間違いなさそうだった。

「……」

「……」 

 言い出した玲奈共々黙ってしまう。

「……そんな嫌なんですね……まあ、虫とかいそうだけど」

 玲奈が珍しくそれなりにフォローすると、

「今離れたら、絶対彼氏取られると思うから」

 と、律子は思いもよらない真剣恋愛の告白を開始した。

「……取られそうなんですか、実際」

 玲奈は深く聞いてくる。今の律子の状態なら、論文の話までべらべらしてしまうだろうが、それを逆に玲奈になじられる気がしたので、

「そりゃあ、誰だって、彼氏がいて、何年か分からない海外転勤だなんて不安よ」

と、即フォローに回ったが、

「私の彼氏、医師なのよ? しかも、北大の」

 フォローを完全に蹴落とす形で、律子は堰を切った。

「なるほど、それで…」

 と、玲奈はおとなしく応じたが、奏は、玲奈がその自慢にぴくりとも反応しないことに驚いた。

「……何?」

 奏の妙な間に気づいた律子がいち早く反応する。

「え?……、いや、別に……」

「何よ。私立と国立にはそれなりの差があるって言いたいの?」

 今何故その話なんだ! 話がややこしくなる! と奏は、思い切って、

「まあまあ、仮定の話はやめましょうよ。私も、コートジボワールは嫌ですけど、実際そこ行くかどうかも分かんないんだし」

「行くよ、誰かが」

 律子は、低い声で言い切った。そして、グラスのワインをすべて飲み切る。会話の内容から喉が渇いたのかもしれないが、今日このメンバーで悪酔いだけはしてほしくない。

「愛子なら行く? 彼氏おいて、行ける?」 

 だから、玲奈には彼氏の話してないから!

「彼氏いたんですか?」 

 ほら、そうなる!

「いるけど…」

「帝東医大の脳外だって」

 律子は納得いかなさそうに、吐き捨てた。

「マジですかー!?」

 だから、こうなるのが嫌だったのに。

「……私の話なんかどうでもいいから、別の話しましょうよ」 

 奏も、そこそこ不機嫌そうに言ったのだが、

「何人(なにじん)ですか?」

 通常、この手の質問などあり得るはずがないのだが。自らがハーフの玲奈は父親がイギリス人であるため、まずは国から攻め始めた。

「……いいじゃないの、何人だって」

 あからさまに嫌がってみせたが、予想通り玲奈には通じない。

「え、まさか外国人?」 

 律子も食いついてくる。

「……イギリス人ですか?」

 なんでそこから攻めるかなあ……。

「あー、当たってますね」

 玲奈は言い切ると、背もたれにどんと背をもたせた。

「えっ!? イギリス人の脳外科!?」

 律子は大きく反応する。

「……ですけど」 

 奏は小さく同意してみせた。

「マジー??? どこで知り合ったの??」

「じゃあその彼氏に、誰か紹介してもらってください」

「絶対それ言うと思ったわ」

 律子は玲奈の図太い神経が分かるとでも言いたげに、半分笑った。

「え、本当にどこで知り合ったの?」

 律子がしつこく聞いてくる。

「……私は、帝東大卒なんですけど、サークルの後輩が医学部にいて。その後輩に会いに医学部に行った時にカフェで偶然会って、声をかけられたんです」

「いつ!?」

 律子の質問はやまらない。

「……2年くらい前です」

「え、まじー? それこそ、あんたの方がコートジボワール行けないじゃん」

 律子は自虐っぽく笑っているが、実際、今社命でコートジボワールに行くことになったら、多分、行くだろうと思う。

「愛子さんは、辞表出すんですか?」

 だから、その極論やめてほしいけど。

「出さないよ。多分私は行くと思うし」

「え、マジー? なんでー??」

「律子さんは、辞表書くって言ってますけど」 

 玲奈の余計な一言に、さすがに律子の顔が大きく歪んだ。

「え、だって。まあ、それで別れるっていうんなら、仕方ないかなって」

「あんた医者だよ? しかもイギリス人だよ? ……ってことは、イケてないの?」

 ってことは、の意味が分からないのだが。

「いや……」

「今ここで、めちゃくちゃ愛されてたって、多分海外行ったら終わりますよ?」

 さすがに玲奈の言葉にはカチンとくる。

「……多分私もそう思う。だから、私は海外に行けない」

 律子がようやくまともな一言を出し、玲奈も黙ったので、奏は数秒待ってから、仕方なく口を開いた。

「……私は別に、結婚したいとか思ってないし……」

「だから、終わったっていいってことですか?」

 玲奈が聞く。

「そうとは言ってないけど。私はこの会社が結構好きで、これからも働いていきたいから、海外赴任って言われたら、行くし、それで別れるんだったら、仕方ないし」

「……写真とかないの?」

 律子はいつもそうだが、今日もあからさまだ。

「写真、ですか」

 そんなもの、普段持ち歩いていない。

「旅行とか行ったことないの?」

 あそうだ……。スマホのフォトアルバムの中に、旅行に行った時のが1枚はあった。

 でもそれを見せてどうなる……。

「ありますけど……あんまり……」

「絶対何も言いませんから」

 玲奈のそれは、何を意味している。

「うちはダブルデートとかそういうのはダメだけどさ、写真くらいはいいんじゃない?」

「じゃあ、先、律子さんのから見ますか?」

 玲奈が言い出したが、

「うちは旅行も行ったことないし、写真もないよ」 

 うまく言い切る。

「えー、本当ですかー?」

 玲奈が下手に出たが、

「うん。それより、イギリス人がどうなのかの方が気になるわ」

「……写真見てどうするんですか?」

 奏は、律子をきつめに見つめた。

「って別に、見るだけよ」

 そして、自然に苦笑する。

 まあ、他意がないんならいっか。

「ちょっと待ってくださいね」

 というほど時間もかからず、すぐに旅行の時の写真が出て来る。隣接する県にドライブに行き、一泊旅行した写真だが、近くにいた土産物屋の店員に、山の景色を背景に車のそばで1枚シャッターを切ってもらったのだ。

 軽くウェーブされたブロンドの髪の毛がきれいになびいている。背は私より30センチくらい高いので、私の肩を抱いていてもやっぱり釣り合っていない。

 この時は、いつもよりはカジュアルな服を着ていて、チノパンに白シャツと濃紺のジャケットだが、それでも色使いは随分上品だ。

 いつものベンツもこの時は屋根をつけている。
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