雪の果てに、催花雨は告ぐ。
「どういうことなの?ゆかり」
いつも通り――いや、4日ぶりの昼間に帰宅した私を迎えたのは、怒っているのか泣いているのか分からない母だった。
私が“普通の子”だったのなら、おかえりと言って迎えてくれるのだろうけれど。
そうでない私は、何時に帰ってもその言葉はかけてもらえない。
「あなた、昨日とその前の日は、“普通の子”のように授業に出ていたのよね?だって、夕方に帰ってきたんですもの」
それは、倖希が“普通の子”と同じ終業時刻まで、勉強を教えてくれていたから。なんて、この空気の中では言えない。
玄関マットへ投げていた視線を上へ動かせば、目を赤く腫らした母の視線と交差する。
「あなた、授業に出ないでどこで何をしていたの?」
保健室で、倖希とお勉強をしていたの。
そう言えたら楽だけれど、それは母が求めている答えじゃない。
「ねえ、どうなの?ゆかり」
母の瞳から、涙がこぼれ落ちた。
どうして泣いているんだろう。涙は心が悲しくなった時に、溢れてくるものなのに。
母はちっとも悲しそうじゃない。
泣いているけれど、胸の奥から迫り上がってくる何かを出したくて、出したくて仕方がないという顔をしている。
「担任の先生から電話がかかってきてビックリよ。“新しいクラスになったのに、教室に来るのは難しそうですか?”って」
難しいとか、難しくないという問題じゃないの。
新しいその場所が、私の知らない人たちで溢れているとしても、そこに私の居場所はない。
居場所は自分で作るものだと母に言われたことがあるけれど、そんなことが出来るのは普通の子だけ。
普通の子になれなかった私には出来ないの。出来ないんだよ、お母さん。
「どうしてなの?ゆかり」
帰宅早々、玄関で母から言葉を浴びせられている私を、リビングから出てきた妹が馬鹿にするような目で通り過ぎる。
目を逸らした私の顔を、母の両手が包み込む。
それはとても冷たかった。
私がまだ普通の子だった時に、抱きしめてくれた温度とは程遠い、身を震わせるような冷たさ。
泣き腫らした母の瞳が、こっちを向きなさい、と。
目を逸らすな、と訴っているかのよう。
「どうしてあなたは、普通の子になってくれないの?」
叫ぶように放たれた声が、私の心に突き刺さる。
私が普通の子じゃないってことは、嫌というほど分かっている。
この身を以って分かっているのに。
「普通の子になってくれるだけでいいの。それだけのことなのに、難しい?」
そんな風に、言わないでよ。
普通の子、普通の子、普通の子って、言わないで。
どうして私は、普通の子じゃないの?
どうしたら私は、普通の子になれるの?
「我が子が普通の子じゃないってこと、恥ずかしいのよ。お母さんを困らせて楽しいの?」
困らせるつもりなんて、なかった。
こんな風になるつもりなんて、なかった。
自分が普通じゃなくて、特殊でもない異常だってことは、私が一番分かっている。
分かっているのに、一番の味方であり、理解者であって欲しかった母にそんなことを言われて―――
強く心を持っていられるほど、笑っていられるほど、私は強い人間じゃない。
「―――っ…、」
「ゆかりっ!!」
込み上がってくる、果てのない感情に気づかれないように。
熱く迫ってくる本心が、声にならないように。
瞬きと同時に弾かれた涙が、母に見えないように。
私は、家を飛び出した。
どうしてなのだろう。
どうして私は、普通の子になれないのだろう。
教室に行けば普通なのかな?
教室にいる普通の子たちに混じって、その子たちと同じように過ごしていれば、普通になれるのかな?
お母さんが求める普通の子って。
そもそも、普通って、何なのかな。
「―――ゆかり?」
「…っ!」
酷く聞き慣れた声で顔を上げれば、そこには倖希が居た。
どうしてここにいるだろうと思考を巡らせれば、自分が学校の前に来ていたことに気がついた。
どうやら私は家を飛び出した後、学校へと走っていたらしい。
それはそうだ。家と学校を往復することしかしていない人間が、その片方を失ったら、もう片方へ行くしか無いのだから。