雪の果てに、催花雨は告ぐ。
幼い子供のように波打ち際を駆けた。
駆けた、と言うには及ばない短い距離かもしれないけれど。
力強く砂浜を蹴って、足先が海水に濡れた瞬間、何という言葉で表現したらよいのか分からない気持ちが溢れた。
「…気持ちいい?」
少し離れた場所に佇む倖希が、優しい顔をして訊ねてくる。
私は万遍の笑みで大きく頷いた。
倖希もやればいいのに、と言おうと思ったけれど、返事は分かっているから言わない。
「ねぇ、倖希」
波の音の上に重なるように、パシャリ、と水飛沫が上がる音が響く。
「なに?」
私は足を止めて、倖希の方へ身体ごと向き直った。
海水に濡れないように摘んでいたスカートの裾を離す。
「久しぶりに、笑った気がする」
砂浜に腰を下ろしていた倖希は、そう、と呟く。
春の海は冷たかった。
でも、こんな私を受け入れてくれた海は、やっぱり大きくて優しい。
私は足元の海水に視線を落としたまま、大きく息を吸い込んだ。
それをゆっくりと胸の外へと吐き出していく。
嫌なことも一緒に出ていってくれればいいのに、と思いながら。
「…ねぇ、ゆかり」
倖希が私の名前を呼んだ。いつになく真剣な表情で、私の名を音にした。
「なに…?」
倖希は戯けたような笑みを浮かべて、波打ち際へと歩み寄ってくる。
春風なのか、海風なのか分からない曖昧な風に吹かれる私の髪を、ひとつ掬って。
「笑った方が、アンタの顔は普段の何倍もマシだよ」
「……それ、どういうこと?」
私は反射的にそう訊き返していた。
私は笑っていないと、醜く見えるってことなのかな。
風の中を揺蕩う髪を掴んでいた手が、空気に溶け込むように離される。
少し俯き加減の倖希の顔は、酷く大人びて見えた。
本当に、同じ歳の男の子なのかなって、そう思わざるを得ないよ。
「笑った方がいいってこと」
いつもの私だったら、お世辞はいらないと言って突っぱねるのだろうけれど。
いつになく真剣な顔で、言葉を贈ってくる倖希と目が合った瞬間に、そんな考えはどこかに消え去った。
「…この先も、笑っていられるかな…」
強くなろうとは思ってはいても、臆病な心を捨てきれない私。
不安定な心の綻びから溢れてくる、弱音。
倖希は全てを掬い取るように、この上ない優しい笑顔を飾る。
「…大丈夫だよ、ゆかりなら。もう、大丈夫。歩いていける」
「倖希…?」
今の言葉はどういう意味なのだろう。
砂の城のような儚い笑みを浮かべながら、ただ優しく私を見つめてくるばかりで。
倖希が、消えてしまいそうだ。漠然とそう思った私は、目の前に佇む倖希の手を掴んだ。
大丈夫、透けてなんてない。感触もある。此処に存在している。
それでも、倖希はーーー
「また、会えるんだよね?」
「どうしてそんなことを聞くの?」
「だって、今日が最後みたいな言い方をするから…」
思わず目を閉じてしまうほどの、強い風が吹き荒れた。