雪の果てに、催花雨は告ぐ。
「“普通の子”ねぇ……」
朝、8時45分。
“普通の子”なら、教室でホームルームを受けている時間。
いつも通りに登校した私は、先生への挨拶よりも先に質問を飛ばしていた。
「…分からん」
そう言って、煙草を銜(くわ)えた男は養護教員の村井先生。彼は胸ポケットからライターを取り出すなり不敵に笑った。
ちゃんと真面目に考えて答えているのか、と怒りたくなったが、村井先生が真面目に考えていたら、それはそれで何だか変な感じがする。
「先生、ここ、保健室ですよ」
「おー」
「体調が悪い生徒が来たら、どうするんですか。主任か教頭に知れ渡ったら、バットエンドですよ」
「そりゃいけねぇなあ」
とか言いつつ、先生はちゃっかり火を点している。
呆れ混じりにため息を吐き出せば、先生はまだ笑っていた。
「…気持ち悪いです」
「俺じゃなくて、親御さんに言ってやれ。“毎日気持ち悪いこと言うんじゃねえ”ってな」
先生のその言葉に、私は押し黙った。
村井先生はいつもやる気がなさそうな顔をしているくせに、人の痛い所を突いてくることばかり言うのだ。
知っているのに知らなそうな素振りをしたり。
知らなそうな顔をして、実は知っていたり。
いい加減に見えて、本当はとても優しい先生が、この学校の教師の中で一番好きだ。
いや、先生しか、好きじゃない。
先生が居るこの保健室だけが、私の居場所。
安心していられる、唯一の場所。
「“うっせえババア”って、まだ言ってねえのか?」
「そんなこと、言えません」
「言っちまえよ。スカッとするんじゃねえの?」
保健室登校の子供が親に反抗してどうすると言うのか。
本気なのか本気でないのか分からないことを言っては、気を紛らわせてくれる村井先生。
「……これ以上、困らせたくないんです」
不登校にも、登校拒否にもなりきれない、保健室登校をしている中途半端な私。
先生は責めることもせず、いつも通りに気のない返事をすると、煙草を銜えながらキーボードを叩き始めた。
そんな先生から一番近い距離にあるベッドに腰掛け、本を読んだり勉強をするのが私の日課。
ふとページを捲る手を止めた時、タイミング良くチャイムが鳴り始めた。
12時40分、昼休みを告げる鐘。
読みかけのページに栞を挟み、鞄に投げ入れた私は、スクールバッグを肩に掛けた。
「先生」
「あー?」
先生は大きく伸びをすると、此方へ椅子を回転させて立ち上がった。
そして、帰り支度を終えている私を見て目を丸くさせる。
「なんだ、もう帰るのか」
「今日は、図書館に」
「そーかそーか、学んでこい」
そう言って、さらに大きな欠伸をした先生は、何かを思い出したような声を上げた。
デスクの横に掛けられたコンビニの袋をガサゴソと漁るなり、イチゴの絵が描かれたものを差し出してくる。
「なんですか、これ」
「いいから受け取れ。教師命令だ」
職権乱用をするな、と言いかけたが、今日は素直に受け取ることにした。
ほい、と手のひらに乗っけられたのは、どこにでも売っている菓子パンだ。
甘酸っぱいイチゴジャムと、カスタードクリームがぎっしりと詰まっているもの。
私が大好きなもの。
「どーせ今日も飯食ってないんだろ?ガリガリな小娘を放っておくわけにはいかねえからな」