FF~フォルテシモ~
***
朝比奈さんと初めて弁当を交換してから、どれくらい時間が経っただろうか――一緒に弁当を食べながら話をしていると、あっという間に時間が過ぎていく。同じように膝枕で眠っている時間も、一瞬に感じるくらい。いつの間にかこのひとときが、俺の中でかけがえのない、大切な時間となっていた。
毎日疲れて帰宅しても年のせいか、朝早く目覚めてしまう。それを利用して、弁当を作った。
以前なら前日の晩ごはんのおかずや冷凍食品などを適当にぶち込んでいたが、交換するようになってからは、全てが手作りになった。わざわざネットで調べながら、若い女の子が好きそうなおかずを作ってる。
女のコは貧血になりやすいからとレバーを使ったり、美容を気にするかもと果物も入れてみたり――気がつけば以前と比べてハッキリと分かるくらい、華やかな弁当になっていた。
「俺、朝から何やってるんだろ……」
そう思いながらも結構楽しかったりする。誰かのために料理を作るのは、何年ぶりだろうか。今日も彼女から美味しいという言葉が聞きたい。ただ、それだけだったのに。
「今川部長、このレバーの炒め物、めっちゃ美味しいです。どうやって作ったんですか?」
ニコニコしながら、美味しそうに頬張りつつ聞いてくれる。
「レバーをきちんと水に五分ほどつけて血抜きした後に水気を拭いて、塩コショウ、ウスターソースで下味をつけるんです」
「へぇ、やっぱり手間がかかってるだけあるなぁ。それから、どうするんですか?」
今日も自然と、会話が弾む――朝比奈さんが作ってくれた美味しい弁当を口にしながら、穏やかな時間を過ごした。
「あの……お弁当以外の事を聞いてもいいですか?」
珍しく改まって質問してきた。らしくないその様子に、思わず身構える。
「どうぞ?」
「えっと、どうして離婚したのかなって……」
他の人ならあえて避ける質問をズバッと聞いてくるのが、彼女らしい言動だった。どう答えようか悩んでいたら、朝比奈さんが唐突に話を切り出す。
「私は自分の両親しか知らないんです。仲の良い両親を見ていたから離婚するっていうのが、どういうのか分からなくて」
「そうですね。実際は、仲が悪かったワケじゃなかったんです。平凡過ぎる毎日と彼女自身、やりたい事が出来てしまって、私よりもそっちが優先されてしまったという事でしょうか」
お互い、憎み合って別れたんじゃない。たまたま時期が悪く、あれこれ重なってしまっただけの話だった。俺が束縛せずにいたら事態は変わっていたのかもしれないと、冷静になった今はそう思える。
(俺と仕事、どっちを取るんだ!? なんて苦し紛れの質問をしなければ良かったのにな――)
「平凡過ぎる毎日がイヤなんて、なんか贅沢ですね」
「はい?」
何となく悲しそうな表情を浮かべている姿に、首をかしげた。
「私の毎日が平凡じゃないから、そう思うのかな……」
その言葉に、思わず口元が緩んでしまう。毎日が平凡じゃない彼女は、どんな生活を送っているんだろうか。黙っていれば可愛らしいのに、喋り出すとどこか攻撃的な一面を持ち合わせているから、結果的にトラブルが発生するんだろう。
「ご両親は、とても仲が良かったんだ。それは羨ましいね」
「はい、とても。今でも私の憧れなんです。パパはホテルマンだったんですけど1年に1回、ママとそのホテルに泊まって、パパの仕事ぶりを見たりして、すっごく楽しかったなぁ」
「へぇ」
「私がワガママ言わなきゃ、ふたりは死ぬ事なかったのに……」
不意に暗い話題になる。質問の選択ミスをしてしまったか――。
「時に神様は、残酷な事をするね」
そっと呟くと、それを聞いて静かに頷く彼女。
「私がある日、大きな桜の木の下でお花見がしたいって、ワガママを言ったんです。パパがお休みの日にママとふたりで、大きな桜を探しに出かけた先で事故にあっちゃって」
ああ、だからか――会社の裏にある桜を見ながら、切ない顔をしていたのは。
「来年、桜が咲いたら、一緒に花見に行こうか?」
寂しそうな顔を見ていたら、思わず提案していた。
「ホントですか? 嬉しいです。頑張ってお弁当を作らなきゃ」
「私も頑張って作りますよ」
お互い微笑みながら、またそれぞれの弁当に手をつける。
最初はあんなに顔を合わせるのが苦手だった彼女と、こんなに楽しく過ごせるとは夢にも思ってなかった。朝比奈さん自身の話を聞いてる内に、気がついたら心が惹かれてしまった。
彼女の持つ純粋で無垢で傷付きやすい内面が、どうしようもなく厄介で、気がかりで目が離せなくなり――気付いたら、どっぷり見事に落ちていた。
仕事中にふと彼女は何をしているかと考えたり、弁当作成中にラブソングを口ずさみながら、彼女の事を考えてる。俺、どうしちゃったんだろ。一回り以上年下のコに恋するなんて、頭がおかしくなったのではなんて、えらく苦悩した。
悶々としながらも、どんどん彼女の事が好きになってきてしまい、どうしようもなくなる。
おじさん、ピンチです! この想いを告げてしまったら、どうなるんだろうか。年齢差だけじゃなく、バツがひとつついてる自分。
あれこれ考えても、心の整理がつくワケがなく。
「やめた、やめた!」
明日会社帰りに、ハートの型抜きと桜でんぶを買おう。直接伝えるなんていう芸当が出来ないなら、いつもの弁当を使って想いを伝えよう! とりあえず告白してみて、それからどうしていくか、二人で考えようと思った。朝比奈さんなら俺が想像つかない意見を、提供してくれる気がしたのである。
「そうと決まれば、ネットで可愛いのを調べてみよう」
次の日は夜通しかけて、弁当を作った。はたから見たら、かなりアヤシイだろう。いい年した、おじさんだから……。
年甲斐もなくドキドキしながら作った海苔で書いた文字を、何度も置き直す。手が震えるのだ、たった三文字なのに。完成した時の達成感は、筆舌に尽くし難い。
「さて問題です。これを渡した後、俺はどこに逃げようか」
傍になんて絶対に居られない、すごくハズカシイ。今からドキドキしてどうする、しっかりしろ俺。
朝比奈さんと初めて弁当を交換してから、どれくらい時間が経っただろうか――一緒に弁当を食べながら話をしていると、あっという間に時間が過ぎていく。同じように膝枕で眠っている時間も、一瞬に感じるくらい。いつの間にかこのひとときが、俺の中でかけがえのない、大切な時間となっていた。
毎日疲れて帰宅しても年のせいか、朝早く目覚めてしまう。それを利用して、弁当を作った。
以前なら前日の晩ごはんのおかずや冷凍食品などを適当にぶち込んでいたが、交換するようになってからは、全てが手作りになった。わざわざネットで調べながら、若い女の子が好きそうなおかずを作ってる。
女のコは貧血になりやすいからとレバーを使ったり、美容を気にするかもと果物も入れてみたり――気がつけば以前と比べてハッキリと分かるくらい、華やかな弁当になっていた。
「俺、朝から何やってるんだろ……」
そう思いながらも結構楽しかったりする。誰かのために料理を作るのは、何年ぶりだろうか。今日も彼女から美味しいという言葉が聞きたい。ただ、それだけだったのに。
「今川部長、このレバーの炒め物、めっちゃ美味しいです。どうやって作ったんですか?」
ニコニコしながら、美味しそうに頬張りつつ聞いてくれる。
「レバーをきちんと水に五分ほどつけて血抜きした後に水気を拭いて、塩コショウ、ウスターソースで下味をつけるんです」
「へぇ、やっぱり手間がかかってるだけあるなぁ。それから、どうするんですか?」
今日も自然と、会話が弾む――朝比奈さんが作ってくれた美味しい弁当を口にしながら、穏やかな時間を過ごした。
「あの……お弁当以外の事を聞いてもいいですか?」
珍しく改まって質問してきた。らしくないその様子に、思わず身構える。
「どうぞ?」
「えっと、どうして離婚したのかなって……」
他の人ならあえて避ける質問をズバッと聞いてくるのが、彼女らしい言動だった。どう答えようか悩んでいたら、朝比奈さんが唐突に話を切り出す。
「私は自分の両親しか知らないんです。仲の良い両親を見ていたから離婚するっていうのが、どういうのか分からなくて」
「そうですね。実際は、仲が悪かったワケじゃなかったんです。平凡過ぎる毎日と彼女自身、やりたい事が出来てしまって、私よりもそっちが優先されてしまったという事でしょうか」
お互い、憎み合って別れたんじゃない。たまたま時期が悪く、あれこれ重なってしまっただけの話だった。俺が束縛せずにいたら事態は変わっていたのかもしれないと、冷静になった今はそう思える。
(俺と仕事、どっちを取るんだ!? なんて苦し紛れの質問をしなければ良かったのにな――)
「平凡過ぎる毎日がイヤなんて、なんか贅沢ですね」
「はい?」
何となく悲しそうな表情を浮かべている姿に、首をかしげた。
「私の毎日が平凡じゃないから、そう思うのかな……」
その言葉に、思わず口元が緩んでしまう。毎日が平凡じゃない彼女は、どんな生活を送っているんだろうか。黙っていれば可愛らしいのに、喋り出すとどこか攻撃的な一面を持ち合わせているから、結果的にトラブルが発生するんだろう。
「ご両親は、とても仲が良かったんだ。それは羨ましいね」
「はい、とても。今でも私の憧れなんです。パパはホテルマンだったんですけど1年に1回、ママとそのホテルに泊まって、パパの仕事ぶりを見たりして、すっごく楽しかったなぁ」
「へぇ」
「私がワガママ言わなきゃ、ふたりは死ぬ事なかったのに……」
不意に暗い話題になる。質問の選択ミスをしてしまったか――。
「時に神様は、残酷な事をするね」
そっと呟くと、それを聞いて静かに頷く彼女。
「私がある日、大きな桜の木の下でお花見がしたいって、ワガママを言ったんです。パパがお休みの日にママとふたりで、大きな桜を探しに出かけた先で事故にあっちゃって」
ああ、だからか――会社の裏にある桜を見ながら、切ない顔をしていたのは。
「来年、桜が咲いたら、一緒に花見に行こうか?」
寂しそうな顔を見ていたら、思わず提案していた。
「ホントですか? 嬉しいです。頑張ってお弁当を作らなきゃ」
「私も頑張って作りますよ」
お互い微笑みながら、またそれぞれの弁当に手をつける。
最初はあんなに顔を合わせるのが苦手だった彼女と、こんなに楽しく過ごせるとは夢にも思ってなかった。朝比奈さん自身の話を聞いてる内に、気がついたら心が惹かれてしまった。
彼女の持つ純粋で無垢で傷付きやすい内面が、どうしようもなく厄介で、気がかりで目が離せなくなり――気付いたら、どっぷり見事に落ちていた。
仕事中にふと彼女は何をしているかと考えたり、弁当作成中にラブソングを口ずさみながら、彼女の事を考えてる。俺、どうしちゃったんだろ。一回り以上年下のコに恋するなんて、頭がおかしくなったのではなんて、えらく苦悩した。
悶々としながらも、どんどん彼女の事が好きになってきてしまい、どうしようもなくなる。
おじさん、ピンチです! この想いを告げてしまったら、どうなるんだろうか。年齢差だけじゃなく、バツがひとつついてる自分。
あれこれ考えても、心の整理がつくワケがなく。
「やめた、やめた!」
明日会社帰りに、ハートの型抜きと桜でんぶを買おう。直接伝えるなんていう芸当が出来ないなら、いつもの弁当を使って想いを伝えよう! とりあえず告白してみて、それからどうしていくか、二人で考えようと思った。朝比奈さんなら俺が想像つかない意見を、提供してくれる気がしたのである。
「そうと決まれば、ネットで可愛いのを調べてみよう」
次の日は夜通しかけて、弁当を作った。はたから見たら、かなりアヤシイだろう。いい年した、おじさんだから……。
年甲斐もなくドキドキしながら作った海苔で書いた文字を、何度も置き直す。手が震えるのだ、たった三文字なのに。完成した時の達成感は、筆舌に尽くし難い。
「さて問題です。これを渡した後、俺はどこに逃げようか」
傍になんて絶対に居られない、すごくハズカシイ。今からドキドキしてどうする、しっかりしろ俺。