FF~フォルテシモ~
***

 マットが隠れる場所は、きっと会議室。男子トイレに引き籠っていたら捜せないけど、会議室を重点に捜せば見つかるかもしれない。

 急いで自分のデスクに戻ってパソコンを使い、空き会議室の場所をチェック。まずはフロアにある、給湯室から近い会議室から確認してみた。

 空き会議室の扉を開けては閉じを数回やったところで、開かない扉を発見した。押しても、びくともしない。鍵付きじゃないんだから、開かないのはおかしい。

 後方にある扉までダッシュして中に入ると、マットが前の扉に背をもたれ掛かけた状態で座り込んでいた。

 足音を立てずに、ゆっくり近づく。ガックリ肩を落として項垂れたままのマットに、何だか声をかけにくい。

 跪いて顔を覗き込むと、涙を流して泣いていた。

「どうして泣いてるの?」
 
 マットの頬にそっと触る。目の前でビクッと体を震わせて視線をあげたマットが、濡れた瞳で私の顔を見た。

「蓮……」

「私何か、マットを傷つけてばかりいるよね、もうイヤになっちゃった?」

「そんなことはありません」

「じゃあ何で、辛そうな顔で泣いてるの?」

「不甲斐ない自分が許せないからでしょうか。好きな人を守ることができず、伝えたいことも伝えられない、ハッキリしない自分に、とても腹が立ってます。悔し泣きするほどに……」

 涙を拭った頬にまた、一筋の涙が流れる。

 恋愛に関して百戦錬磨の私だけど、泣いてる男性の対処法が分からない。ましてや大好きで堪らないマットが目の前で、こんなに泣いてるのに。

「私のこと、嫌いになった?」

「蓮?」

「楽しそうに山田くんと出掛けたり、今川くんとキスしたりしてる私を嫌いになった?」

「山田くんと出掛けて、楽しかったんですか?」

「楽しいワケないじゃない。一緒にいて楽しいのは、マットだけだよ」

 唐突にマットの体に抱きついた。見上げると私の顔を見つめる、優しい視線にぶつかる。流れる涙を、右手でそっと拭ってあげた。

「甥が君に、酷いことをしてすまない」

「大丈夫!」

「一番酷いのは俺です。君を助けないで、見惚れてしまっていた……っ!」

 苦しそうに眉根を寄せて、瞳を閉じる。

「あんなの大丈夫だから、自分を責めるのはやめて。私にも隙があったのが悪かったんだし」

「大丈夫じゃありません、だって君は俺の……」

「俺の?」

 蓮が不思議そうな表情で訊ねる。傷つけてばかりいる俺は、彼氏失格かもしれないけど。

「かけがえのない、彼女なんですから」

 ありきたりな言葉かもしれない。だけど今の自分が、素直に告げることができる気持ちだった。

「愛してます蓮。君のすべてが欲しい」

「こんな私で、ホントにいいの?」

 不安そうに聞いてくる蓮を、迷うことなくぎゅっと抱き締めた。

「君こそ、こんなおじさんでいいのかい?」

 抱き締めてる体から、蓮のドキドキが伝わってくる。そんな緊張している彼女に、そっとキスをした。

「マット……」

「今のは貴弘の消毒。次は俺の――」

 ――気持ちを込めたキス。

 次第に激しくなっていくキスに、蓮は俺の首へ腕を回して応えてくれる。気づいたら床に押し倒していた。俺の顔を驚いた様子で見る蓮の頬にキスしてから、細長い白い首筋にそっと唇を寄せる。

「ああっ」

「蓮、愛してます」

 そして、また唇を合わせる。何度も――。

「君の体はどこも柔らかくて温かくて、ホッとします」

「マットの気持ちはとっても嬉しいんだけど、誰かが入ってきたら、この状況は結構マズいよね」

 ポツリと呟く蓮の声に、ハッと我に返った。着ている服が乱されて肌が露わになっている蓮の姿に、驚いて飛び退いた。慌てて、自分の脱ぎ捨てた上着をかけてあげる。

「ごっ、ごめん。つい夢中になってしまった」

 どうにも居たたまれなくて、蓮に背中を向けるしかない。

(誰かが入ってくるかもしれない場所で、何て破廉恥なことをやってしまったんだ)

 コッソリ反省してたら、背中に抱きついてきた蓮。

「もう大丈夫、マットありがと」

 振り返ると俺の上着を着て、まぶたを伏せながら頬を染めている蓮がいた。よく見ると左側の鎖骨に、紅い痕があるじゃないか。

「済まない。すっかり自分を見失って、こんな目立つ場所に痕をつけてしまいました」

「マットがこんなふうになるなんて思ってなかったから、本当にビックリしちゃった。やっぱり昔の名残なの?」

 小首をかしげて聞いてくる。

「昔の名残? 何の話ですかそれ」

「今川くんのお父さんが言ってた、マットの若かりし頃が食虫植物だったという話」

 私が言うと、バツが悪そうに瞼を伏せる。もしかして、聞いちゃいけない内容だったのかな。

「君は、どう思いますか?」

「信じられない話だけど、さっきのマットを考えると、さもありなん」

 笑いながら上目遣いでマットを見ると、ありありと困った顔をした。

「一番上の兄貴が当時付き合ってたのは、俺の同級生だったんです。兄貴の女癖の悪さや暴力の相談を受けてたのが、俺だったんですが」

「相談を受けてる内に、さっきみたく押し倒したんだ」

「違います! 彼女が兄貴と別れて次に会ったのは、社会人になって開かれた同窓会でしたから。俺と兄貴は反りがあわない兄弟で、事あるごとにそういう、ワケの分からないデマを流されたんです」

 うんざりした様子で語るマットの背中を、ポンポンしてあげる。

「じゃあまたマットは、ひがまれちゃうんだね」

「ん?」

「私みたいな若い奥さんができたら、羨ましがるんじゃないの?」

 ニッコリ微笑みながら言うと、なぜか赤面しながら『奥さん』と小さい声で呟く。

「良かった、マットが元気になって」

 自分の腕に、マットの左腕を絡めた。

「蓮が隣で笑ってくれるなら、いつだって元気ですよ」

 優しく笑いながら、私の瞼にキスをした。

「有り難う、蓮」

「何だか、吹っ切れた顔してる」

(――爽やかで力強い眼差しが、その証拠だよね)

「そうですね。言いたいことを多少なりとも伝えたし、吹っ切れた感はあるかもしれません」
 
 男力がアップしたマットに、ちょっとだけドギマギしちゃう。

「その勢いで仕事、頑張らなくちゃですね今川部長っ」

 誤魔化すように、肩を叩いた。

「仕事の前に、その赤い顔を何とかしなきゃならないです朝比奈さん。俺に惚れ直してる場合じゃないですよ」

(――ああ、どうしよぅ。あんなに可愛かったマットが、スゴい大人になってる)

 頬に両手をあてて照れると、頭を撫でなでしてくれた。

「いい加減に仕事に戻らないとヤバいです。行きましょう」

 腕時計を見ながら、慌てて扉を開けるマット。上着を借りっぱなしだったことに気づいて声をかけようとした瞬間、なぜだか扉に足を引っかけて見事に転んだ。

 前にも、こんなことがあったよね。

「あいたた……」

 痛そうに、腰の辺りをさすってる。

「大丈夫?」

「何か君の前では、最後までいい恰好ができないみたいです」

 苦笑いしてるマットに、借りてた上着をかけた。

「私の前では普通でいて。そんなマットが大好きだから」

「ご期待に添えれるように努力します」

 痛めた腰をさすりながら、急いで部署に戻って行くマットを見送った。
 
 やっぱり40代って足腰が弱くなるのかなぁと、いらない心配をしてしまった。
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