FF~フォルテシモ~
***
社内のパソコンを使い、午後から行われる会議をチェックした結果、使われない会議室は三つあった。その中から今川部長が行きそうな近場となると、昨日襲われた会議室の向かい側にある会議室が、候補のひとつにあがった。
(中に入る前に、手鏡で身だしなみの確認。よし、お化粧も髪型も崩れてない)
扉を開けて中を覗くと、今川部長が隅っこでお弁当を食べていた。嬉しい発見に、自然と口角が上がってしまう。
「中に入って、ご一緒してもいいですか?」
断らないでという思いを込めて、大きな声で訊ねた。今川部長は、私の顔を見て小さく笑う。
「……いいですよ」
それはそれは、優しい声色で了承してくれた。いそいそ中に入り隣に座る。
「昨日は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
緊張感を隠しながら、きちんとお礼を告げた。
「何事もなくて良かったです」
「今川部長が助けてくれなかったら、大変なことになってました」
今考えても、ゾッとする。
「日頃の君の行いが招いた結果です。これからは注意しなさい」
「身を持って知りました。反省します」
素直に言うと、今川部長はご飯を口に運びながら頷く。その様子を横目で見つつ、隣でお弁当を広げた。ふたりきりで無言状態の中、黙々と食べるしかない。妙な緊張感で、お弁当の味なんて全然わからなかった。
(何か話がしたいんだけどな――)
チラッと今川部長の横顔を盗み見る。口にしようとしているのは、キレイに巻かれている卵焼きだった。
「あの……お弁当を作ってくれる人が、誰かいるんですか?」
まず聞きたかった事から訊ねてみる。
相変わらずお弁当から視線を離さないで、美味しそうに食べる今川部長。私の質問は、またしてもスルーされてしまった。
あーあと思いながら自分のお弁当に入ってる唐揚げに、ゆっくりと箸を伸ばしたら。
「……前日のご飯のおかずを入れたりして作ってます」
唐揚げを摘まもうとした矢先だったので、誤ってグサッと突き刺してしまった。
「自炊していらっしゃるんですか?」
何か意外かも――独身男性って外食やコンビニが、主だと思ってたから。
「年をとると、脂っこいモノや濃い味付けが受け付けなくなるんです。だからしょうがなく、自炊してます」
「おじいちゃんも、同じことを言ってました。だから私がお弁当を作ってるんです」
そう言うと、私のお弁当を覗き込む。
「私とおじいちゃんのは、中身が違いますよ。おじいちゃんのはもっと茶色い感じで、地味なお弁当です」
「そうなんだ」
今川部長の視線から解放される、私のお弁当。ドキドキがいっぱいで、ご飯が進まない。焦る私をよそに、今川部長はお弁当を食べ終えて、椅子を集めてからそこに横になった。
「あのぅ、時間がきたら起こしますか?」
「大丈夫です。スマホにアラームかけてあるんで」
とあっさり断られた。だけど寝顔が拝見出来るかもと、淡い期待を抱いてしまう。
相変わらずお弁当が進まない中、気持ち良さそうな寝息が突然聞こえてきた。いろんな意味で胸がいっぱいになったので、お弁当を手早く片付ける。
傍にいるだけで――その人の存在を感じるだけでこんなにドキドキするのは、いつ以来だろう。
そんな彼の寝顔を見ようと思ったのに、私に背を向けて寝てる状態。
(見たい、見たい見たい……上から覗いても、ちょびっとしか見えない)
回り込んで見ようかなと思ってたら、突然寝返りして、椅子から頭を半分落としながら、くったくのない表情で眠る。そのあまりの可愛さに、両手を口にあてて肩を上下させながら、なんとか笑いをかみ殺した。
自分の目に溜まった涙を拭ってから椅子に腰かけ、今川部長の頭をそっと持ち上げて、膝の上に置いた。ついでに乱れている前髪を、そっと整えてあげる。
自分から進んで、誰かのために何かするのは、初めてかもしれない。さっきまでドキドキしてたのに、今はまったりと癒されてる。
子供みたいな顔をして眠ってる、今川部長のせいかな。
抱き締めたい衝動を抑えながら、幸せなひとときを噛み締めていると、突如鳴るスマホのアラーム。
(もう20分経ったんだ、早いなぁ)
だけど今川部長は起きない。何となく微笑んでいるようにも見えるせいで、起こすのが躊躇われる。ポンポンと肩を叩いてみるけど、まったく反応なし。ゆさゆさと激しく揺さぶってみたけど起きなかった。
もう一度揺さぶりながら、耳元に声をかけてみる。
「今川部長、起きて下さいぃ!」
するとバチッと目を開けて、私の顔をまじまじと見つめた。
「なっなっな……」
何故か、口をパクパクさせる。
(――おおっ、素の今川部長見つけた!)
私の膝から起き上がり、あたふたしながら慌てて離れる。
「椅子から頭を落として寝ていたので、無事に救出しました」
「きゅっ、救出するなら、そのまま椅子に戻してくれたら良かったのにっ」
顔を真っ赤にしながら、何故か後頭部を押さえる。
「私の膝、痛かったですか?」
「痛くないです、むしろ……」
「むしろ?」
私が首をかしげると、今川部長は頭を激しくぶんぶん振って、
「何でもないです、はいっ!」
そう言って、机の上にあった弁当箱を手荒に掴むと、逃げるように走り出した。
「それじゃあ、お先に!」
私に顔を向けず、出て行った今川部長。やっぱり面白い人――明日も明後日も会いたい。もっといろんな話がしたい、いろんな顔が見たい。
そう願わずには、いられなかった。
社内のパソコンを使い、午後から行われる会議をチェックした結果、使われない会議室は三つあった。その中から今川部長が行きそうな近場となると、昨日襲われた会議室の向かい側にある会議室が、候補のひとつにあがった。
(中に入る前に、手鏡で身だしなみの確認。よし、お化粧も髪型も崩れてない)
扉を開けて中を覗くと、今川部長が隅っこでお弁当を食べていた。嬉しい発見に、自然と口角が上がってしまう。
「中に入って、ご一緒してもいいですか?」
断らないでという思いを込めて、大きな声で訊ねた。今川部長は、私の顔を見て小さく笑う。
「……いいですよ」
それはそれは、優しい声色で了承してくれた。いそいそ中に入り隣に座る。
「昨日は危ないところを助けていただき、ありがとうございました」
緊張感を隠しながら、きちんとお礼を告げた。
「何事もなくて良かったです」
「今川部長が助けてくれなかったら、大変なことになってました」
今考えても、ゾッとする。
「日頃の君の行いが招いた結果です。これからは注意しなさい」
「身を持って知りました。反省します」
素直に言うと、今川部長はご飯を口に運びながら頷く。その様子を横目で見つつ、隣でお弁当を広げた。ふたりきりで無言状態の中、黙々と食べるしかない。妙な緊張感で、お弁当の味なんて全然わからなかった。
(何か話がしたいんだけどな――)
チラッと今川部長の横顔を盗み見る。口にしようとしているのは、キレイに巻かれている卵焼きだった。
「あの……お弁当を作ってくれる人が、誰かいるんですか?」
まず聞きたかった事から訊ねてみる。
相変わらずお弁当から視線を離さないで、美味しそうに食べる今川部長。私の質問は、またしてもスルーされてしまった。
あーあと思いながら自分のお弁当に入ってる唐揚げに、ゆっくりと箸を伸ばしたら。
「……前日のご飯のおかずを入れたりして作ってます」
唐揚げを摘まもうとした矢先だったので、誤ってグサッと突き刺してしまった。
「自炊していらっしゃるんですか?」
何か意外かも――独身男性って外食やコンビニが、主だと思ってたから。
「年をとると、脂っこいモノや濃い味付けが受け付けなくなるんです。だからしょうがなく、自炊してます」
「おじいちゃんも、同じことを言ってました。だから私がお弁当を作ってるんです」
そう言うと、私のお弁当を覗き込む。
「私とおじいちゃんのは、中身が違いますよ。おじいちゃんのはもっと茶色い感じで、地味なお弁当です」
「そうなんだ」
今川部長の視線から解放される、私のお弁当。ドキドキがいっぱいで、ご飯が進まない。焦る私をよそに、今川部長はお弁当を食べ終えて、椅子を集めてからそこに横になった。
「あのぅ、時間がきたら起こしますか?」
「大丈夫です。スマホにアラームかけてあるんで」
とあっさり断られた。だけど寝顔が拝見出来るかもと、淡い期待を抱いてしまう。
相変わらずお弁当が進まない中、気持ち良さそうな寝息が突然聞こえてきた。いろんな意味で胸がいっぱいになったので、お弁当を手早く片付ける。
傍にいるだけで――その人の存在を感じるだけでこんなにドキドキするのは、いつ以来だろう。
そんな彼の寝顔を見ようと思ったのに、私に背を向けて寝てる状態。
(見たい、見たい見たい……上から覗いても、ちょびっとしか見えない)
回り込んで見ようかなと思ってたら、突然寝返りして、椅子から頭を半分落としながら、くったくのない表情で眠る。そのあまりの可愛さに、両手を口にあてて肩を上下させながら、なんとか笑いをかみ殺した。
自分の目に溜まった涙を拭ってから椅子に腰かけ、今川部長の頭をそっと持ち上げて、膝の上に置いた。ついでに乱れている前髪を、そっと整えてあげる。
自分から進んで、誰かのために何かするのは、初めてかもしれない。さっきまでドキドキしてたのに、今はまったりと癒されてる。
子供みたいな顔をして眠ってる、今川部長のせいかな。
抱き締めたい衝動を抑えながら、幸せなひとときを噛み締めていると、突如鳴るスマホのアラーム。
(もう20分経ったんだ、早いなぁ)
だけど今川部長は起きない。何となく微笑んでいるようにも見えるせいで、起こすのが躊躇われる。ポンポンと肩を叩いてみるけど、まったく反応なし。ゆさゆさと激しく揺さぶってみたけど起きなかった。
もう一度揺さぶりながら、耳元に声をかけてみる。
「今川部長、起きて下さいぃ!」
するとバチッと目を開けて、私の顔をまじまじと見つめた。
「なっなっな……」
何故か、口をパクパクさせる。
(――おおっ、素の今川部長見つけた!)
私の膝から起き上がり、あたふたしながら慌てて離れる。
「椅子から頭を落として寝ていたので、無事に救出しました」
「きゅっ、救出するなら、そのまま椅子に戻してくれたら良かったのにっ」
顔を真っ赤にしながら、何故か後頭部を押さえる。
「私の膝、痛かったですか?」
「痛くないです、むしろ……」
「むしろ?」
私が首をかしげると、今川部長は頭を激しくぶんぶん振って、
「何でもないです、はいっ!」
そう言って、机の上にあった弁当箱を手荒に掴むと、逃げるように走り出した。
「それじゃあ、お先に!」
私に顔を向けず、出て行った今川部長。やっぱり面白い人――明日も明後日も会いたい。もっといろんな話がしたい、いろんな顔が見たい。
そう願わずには、いられなかった。