いちばん近くて遠い人
 つらい気持ちはつい責めるような言葉になって出て行く。

「さっきまでの甘い時間は嘘だったんですか?」

 お願い。
 海外に行くことが嘘だって言って。
 趣味の悪い冗談だって笑って。

「嘘じゃない。そうじゃない。
 俺は南しか受け付けない体になってる。」

「だったら……………。」

 だったらどうして。
 そう思うのに真剣な眼差しから絶対に曲げない意思を感じて何も言えなくなった。

 もう逃げたりしないって言ったのに。

 しがみついて離したくなかった。

「ミチとマンションは頼んでいい?」

 ズルイよ。
 待っててって言わないくせにここに住まわせるの?

 頷くことも出来なくて関係ないことを質問した。

「タバコ……本当にもう平気なんですか?」

 違う。そうじゃない。
 こんなこと聞きたいわけじゃない。

「あぁ。いっぱい南からもらったからな。
 心配しなくてもタバコを吸いたいとも思わない。
 南のお陰だ。」

 もう一度軽いキスをした加賀さんがいなくなるなんて想像も出来ないし、想像したくもなかった。

 だから……。

「加賀さんが別れて行くって言っても私は別れたなんて思いませんから。」

 加賀さんも私からの曲げない意思を感じたみたいでダメだとは言わなかった。

「そっか。分かった。好きにしたらいい。」

 困ったような、けれど嬉しそうだと思うのは自分の希望が含まれているのかもしれない。


 それから現実は音も立てずにやってきて、私から加賀さんを奪っていく。
 仕事の引き継ぎに、送別会、その他諸々。

 今まで以上に忙しそうな加賀さんとはあれ以来、2人で会うことはなくなって、今まで通りの上司と部下。
 何かすれば頭をかき回されて、だけれど加賀さんが『英里』と呼ぶことはもうなかった。








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