いちばん近くて遠い人
 周りのヒソヒソ声が嫌でも聞こえる。
 いつものことで眉ひとつ動かさない。

「えー総務部から異動してきた南さんだ。
 加賀主任の下で働いてもらう。」

 加賀主任の名前でざわめきが起こった。

 有名な人なのだろうか。
 私には関係ないことだけど。

「で、加賀くんは?」

「まだ出社していません。」

「そうか。今日だと話しておいたんだが。
 とりあえずは席に座ってメールチェックでもしていてくれたまえ。」

 加賀主任は疎か、同じ仕事をするメンバーは誰も出社していないらしかった。

 こんなのも慣れている。

 周りは加賀さんも南の魔女の毒牙にかかるのかと心配する声や、加賀さんなら返り討ちにするんじゃないと期待する声。

 どのみち放っておいてはくれないのか。
 雑音しか聞こえなくて意識してメールに集中した。

「悪い。
 先方が契約を悩まれてて遅くなった。」

 ネクタイを緩めながらホワイトボードに出社のマグネットをつける人は離れたところから見てもかなりの長身なのが見て取れた。

「おっ。これが南の魔女か。」

 嘘……でしょ。
 あのいつかの平手男。

 さすがに頬に赤い手の形は残っていないけれど、ここまで顔立ちの整った人にそうそう会うことはない。

 幸い加賀主任はこちらのことに気付いていないようだ。

 この人が加賀雅也……。
 周りの人が何に騒いでいたのか察しが付く。

「俺が直属の上司になる加賀だ。
 総務部から営業じゃ勝手が違うだろうけど、よろしく頼むよ。」

「南です。こちらこそお願いします。」

 会釈をすると思ってもみない反応が返ってきた。

「南の魔女ね。いい魔女ってことか?
 確かオズの魔法使いでドロシーを家に帰す奴だろ?違ったか?」

「加賀さん。南さん固まってるから。
 私は野々村美智よ。
 何故かみんな美智の方で呼ぶの。
 南さんも美智って呼んで。」

 加賀さんの後に続いてやって来た女性はサバサバとした人のようだ。
 スーツに長い髪を1つにまとめた髪型が似合っている。

「俺は加賀さんで。
 主任って呼ばれるとおっさんになった気になるから嫌なんだ。」

 主任なくらいだ。
 それ相応の年なのだろうけれど加賀さんはそれを微塵も感じさせない。

 きっと30代半ばだろう。
 それでおじさんじゃないつもりでいるなんて、そっちのがどうかしてる。

「来て早々に悪いんだが、次の顧客からアシストについて来て。
 仕事は随時教える。」

 帰ってきたばかりでまた営業に出るのか。
 ……そうか。私を迎えに来てくれたんだ。

 この人、仕事面では信頼できるのかもしれない。
 そんな予感がした。それはもちろん微かな期待も含まれているけれど。












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