いちばん近くて遠い人
 いつもより遅い帰宅になって足早に歩いていた。

 みんなで加賀さんの仕事を分担して、それでも終わらずに「南ちゃんとミッチーは帰りな」と終電前に帰らせてもらえた。

 武蔵さんと隼人さんはまだやっていくみたいだから頭が下がる。

 何より加賀さんの仕事量が膨大で、だから体調を崩すんだと心配になった。

 そこへ会社近くで出くわした加賀さんに否が応でも言葉尻が強くなった。

「帰らなかったんですか?」

「いや。帰ったさ。
 ただちょっと仕事が気になって。」

 バツの悪そうな顔をした加賀さんを見て少しだけ安心した。
 心配をかけて悪いとは思っているようだ。

 不意にふわっと加賀さんから女物のシャンプーの香りがして胸が軋むように痛くなった。

 何を馬鹿なことを………。
 そういう人なんじゃない。

 心の中であざけ笑う。

 分かってる。
 加賀さんと私とではさっきのキスだって。

 この人にとってキスはなんでもなくて、本当に挨拶やお礼の類と変わらないだろう。
 それは他の大勢の女性と変わらない。

 なんなら他の女性以下なのかもしれない。

「どうせまだやってるんだろ?
 ここまで来たし様子見て来る。」

「でも………。」

「遅くならないように帰るよ。」

 微笑んだ加賀さんを上手く見ることが出来ない。

 近づいて来た加賀さんに胸はますます軋んで、いつもみたいに頭を撫でられても余計に辛くなるだけだった。

「南も気をつけて帰れよ。
 自分も女だってこと忘れるな。」

 うるさい。うるさい。うるさい。

 加賀さんに形ばかりの会釈をして足早にその場を離れた。

 まだ残っているような感触を消すように唇を乱暴にこすった。
 何度も何度も何度も。

 こんな胸の痛みに気づきたくなかった。








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