いちばん近くて遠い人
 病室のドアをノックすると「はぁい。どうぞ」と思いの外、元気な声が聞こえた。

「失礼します。」

「加賀さんに南さん。
 わざわざ良かったのに。」

 酒井様があの時と変わらない笑顔を向けてくれた。

「これ、良かったら。
 食べ物じゃいけないだろうと考え出すと何も思い浮かばなくて。」

 頭をかきながら雑誌を手渡す加賀さんはいつもの加賀さんだ。

 それなのに、どうしてだろう。
 私にだけ、私とだけ、視線が絡まない。

「妊娠してるなんて気づかなくてね。
 お腹痛くて病院に行ったら赤ちゃんいますよって。
 驚いたわ。」

 奥様の幸せそうな笑顔に安堵する。

「それで、このままでは早産になってしまいますので入院して安静にしていてくださいって。
 大丈夫よ。南さん。
 無事に産んでみせるわ。」

 早産の言葉に不安な顔をしてしまったようで入院している奥様に慰められてしまった。

 奥様は微笑んで言った。

「安静にしなきゃいけないから退屈なの。
 良かったらまた遊びに来て?」

「はい。私で良ければいくらでも。」



 奥様とお話できて元気をもらえた気がした。

 それなのに営業車に戻ると加賀さんはこちらも見ずに「南が慰められてどうするんだ」とボソッと戒めるように言った。

 当然の指摘だ。

「すみませんでした。」

 消え入る声で謝っても加賀さんは何も言わずに車を発車させた。

 自分が至らないせいだというのは分かってる。
 別に頭を撫でられたいわけでも、からかわれたりしたいわけでもない。

 けれど、目を合わせてくれないことが、触れてくれないことが、こんなにも辛いものなんて………。




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