それから、君にサヨナラを告げるだろう
芽生える気持ち
学生時代よく通っていた、赤い看板が目印の喫茶店に入った。地下の階が空いていたので、私含む五人で茶色い皮の椅子に座った。
私の横にはキツネ目の東堂、目の前には赤いベレー帽を被った麻里茂、麻里茂の右隣には付けまつ毛で白目がほとんどないムトー、麻里茂の左隣にはいつもタートルネックで糸目のヨージがいる。因みにムトーというあだ名は、彼女が無糖のコーヒーへのこだわりがかなり強いため、そのままムトーになったらしい。
私達は、「オレンジ」という名前の同じ映画制作サークルのメンバーで、大学生の時はこうしてこの喫茶店にしょっ中集まっていた。
「皆、今仕事何してんの? 私は今飲料メーカーの企画課」
麻里茂の質問に、ムトーが広告の営業、と即答した。
「ていうか、休日まで仕事の話止めてよ。萎えんじゃん」
「ムトー、相変わらずつけま濃いね。ギャル抜けなさ過ぎ」
「麻里茂こそ、そのベレー帽年考えろよ」
「ベレー帽はおばあちゃんでも被るでしょうが!」
ムトーと麻里茂の相性の悪さは今も変わらずで、私と東堂とヨージはその様子を黙って見ていた。
「俺は出版社で編集やってるよ。今は文芸書担当」
二人の言い合いを遮るように、ヨージが数秒経ってから麻里茂の質問に答えた。
そうか、ヨージは編集者になれたんだ。このメンバーで希望したところに就職できたのは、そういえば唯一ヨージだけだった。
「ヨージ、編集者になるの実現したんだね。すごいよ」
そう言うと、ヨージは少しだけ目を下げて、静かに首を横に振った。そんなことないよ、と動作と遅れてから謙遜した。ヨージはいつも、少しだけ考えてから気持ちを言葉にする人だった。
「あんた達二人は、同じ金融会社でしょ。部署は違うの?」
ムトーが私と東堂を交互に指差して問いかけてきた。私達が通った大学で最も就職先として多い金融会社に、私とムトーは内定した。
巨大な大学なので、同じ大学出身の人がいることは、とくに珍しいことでもなかった。東堂が同じ就職先で、しかも配属先も同じだと知った時、私は一瞬、これはハルが仕掛けたことなのかもしれないと思った。
ハルを忘れないために、ハルの親友だった人を私のそばに置いたのだと。
「部署も一緒。だけど俺、この冬から大阪行く」
「え! そうなの!?」
東堂の突然の告白に、私含む四人が驚きの声を上げた。驚く私を見て、ムトーと麻里茂が「冬香も知らなかったの?」と、さらに驚いた。
東堂は平然として、昨日上司との面談で知らされたんだ、と答えた。総合職の私たちは、どこへ行ってもいい覚悟で就職を決めていた。でも、いざ東堂が異動するとなると、動揺を隠しきれなかった。
「あんた達二人は、ずっと離れないんだと思ってた……」
ムトーが、茫然としながら、独り言のようにぽつりと呟いた。それは、どこかで私も過信していたことだった。
「だって、あんた達が……あんた達が偶然同じ会社を落ちたのも、同じ説明会に行ったのも、同じ会社に入ったのも、全部……」
ムトーが、そこまで言いかけて、ハッとしたように言葉を止めた。
皆、呪いをかけられたように、あの二文字を口にしない。それはとても不自然で、とてもぎこちない。
ムトーの言葉の続きは、誰もがきっと分かっていた。
全ての運命は、ハルを忘れないためだと。
「国内にいれば、いつだってこうして集まれるよ。な?」
暫く黙っていたヨージが、穏やかな声でそう問いかけた。東堂は、当たり前だろ、と言ってブラックコーヒーを口に運んだ。
東堂が、大阪へ行ってしまう。私は少なからずショックを受けてしまったことに、よく分からない罪悪感を抱いていた。
「生きてりゃ会える。充分だろ」
東堂が言い放った言葉が、私達のざわついた胸を一気に沈静化した。それはもう、一瞬の効力だった。