それから、君にサヨナラを告げるだろう
そんな私を見て、ハルが静かに問いかける。
「あんまり面白くなかった?」
「う、ううん、そういうわけじゃない」
話自体はきっと面白かったはすだ。だけど、額の汗をバレずに拭うのに必死で、正直後半は集中できなかった。
「……出ようか」
ハルはそう言って、すっと立ち上がり、私に手を差し伸べた。
その大きな手を取って、私は鉛のように重たくなった体をなんとか浮かせた。

ハルとハグをする場所は、映画館を出てすぐにある、静かな路地裏くらいしかない。
初めて感情を共鳴させる日が、こんな気持ちの日だなんて。
私は緊張した面持ちで、ハルの後をついていった。
そしてついに路地裏に辿り着くと、自分の心臓がどくんと大きく跳ね上がるのを感じた。

読まれたくない。
そう強く、心臓がハルを拒否している。
あの時みたいに。

汚い自分を知られることは、いつだって怖い。自分のすべてを曝け出すことは、勇気がいる。

「……どうかした? 冬香」
「ううん、なんでもない。ごめん」
私は首を横に振って、ハルの背中に腕を回そうとした。けれど、ハルはそんな私の体を静かに引き離した。
「……辛いのなら、無理しなくていい」
ハルの言葉に、一瞬考えたけれど、私は首を横に振ってハルを見つめた。
ハルと向き合うってことは、こういう感情も含めすべて見せるってことだ。
一瞬私達の間に沈黙が流れたが、ハルはゆっくり私の背中に腕を回し、ぐっと体の距離を縮めた。
そっと目を閉じると、ドクンドクン、とお互いの鼓動が鮮明に聞こえてくる。そうだ、この感覚だ。ハルと抱きしめあうと、そのまま一体化してしまうんじゃないかと思うくらい、心音が混ざり合っていくような感覚に陥る。
ハルが忘れてしまった中学での出来事や、保身的で身勝手な自分の行動から生まれた消えない自己嫌悪が、今ドクドクと彼の心に流れているんだろうか。
ハルはこんな私を知って、なんて言うのかな。
不安でいっぱいで、ハルの体温や匂いにドキドキしている場合じゃなかった。

数十秒抱きしめあって、ゆっくりとハルの体が離れていく。不安げな目で彼を見ると、ハルは抱きしめる前と全く変わらない平然とした表情で私に問いかける。

「冬香は、冬香が嫌い?」
「え……」
「それとも、“過去の”冬香が嫌い?」

そんな質問、されると思っていないかった。
でもきっとハルは、私の自己嫌悪を読み解いた上で、そう問いかけているんだろう。
ハルの細い吐息が夜空に消えていく。その瞳は真剣で、私の存在をつい最近まで忘れていたとは全く思えない。

……過去の自分は、好きじゃない。今の自分も、好きじゃない。
 だって私は変われていない。
 さっき観た映画みたいに、本当のことを言うのを恐れている。
 皆と同じ意見だとほっとする。それが正解だと思えるから。
 ハルに抱きしめられている時、福崎さんに言われたことだけじゃなく、顔も思い出せないようなクラスメイトに言われた言葉までもが浮き上がってしまった。

 『なんで皆と同じにできないの? どうして人と違うことを言っちゃうの? 』という、あの言葉が。
 忘れられない。ふとした時にその言葉たちが出てきて、次々に私の心を封じてしまう。

「あんまり、自分のことは好きじゃない……」
「……そうか。だからさっきの映画観て、こんなに感情が乱れてるんだ」
 ハルは心臓を押さえながら、ぽつりとそう呟いた。
 かなり自分と重ねて観てしまったから、こんなにも過去のことを思い出してしまったんだろう。
「この鼓動そのものが、冬香の葛藤なんだな……」
 心が共鳴してしまったからなのか、ハルはまるで自分のことのように苦しそうな表情をした。
 ハルに自分の過去を知られてしまった。どうせなら、忘れていてほしかった出来事だ。
 
 キサラギホールの明かりも消え、もう間もなく、私たちを乗せる夜の電車も眠りだす。
 私たち二人の心は、この寒い夜空の下、数秒間だけでも、共鳴していた。
 薄暗い路地裏をバックに、ハルは暫く黙ってから囁くように呟く。
 
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