王子様と野獣
「本部長っ、あのっ、落とし物です」
「え? ああ?」
振り向いた本部長は私を見ると破顔した。
「悪い悪い。なんだ、階段上ってきてくれたのか?」
「は、はいぃ」
息をゼイゼイにしつつも、無事に万年筆を渡せてホッとした。
田中本部長は直ぐ近くの部屋に入り、秘書と思しき人が出てきて怪訝そうな顔で私を見て歩いていく。
重役の多いフロアだから、私みたいな派遣の平社員がいるのは目立つんだろう。
(……早く帰ろう)
居心地の悪さに小走りになりながら、戻ろうとしたときだ。
近くの会議室の扉が少し開いた状態で止まった。誰か出てくるのかとビビってしまった私は思わず立ち止まった。
「待ってください! 主任」
しかし、そこから聞こえてくるのは美麗さんの声だった。
扉の隙間からはノブを掴んだ手だけが見える。おそらく、あれはあさぎくんの手。
私は隠れる場所を探すも、だだっ広い廊下の重役フロアに私が隠れられるスペースなどあるわけがない。
そのうえ、聞いちゃいけないと思うのに、その場で話し続けるふたりの声は、隙間を通って聞こえてきてしまう。
「ちゃんと専務にも正式にお断りしているから心配しないで」
「どうしてですか。……私との結婚は主任にメリットがあります。それが目的でも構いません」
「そんな結婚じゃ君は幸せになれないよ」
「なれます。私は、ずっと、主任が好きだったんですから」