王子様と野獣
「ごめんなさい。主任の実家を見てみたくて来ただけなんです。……帰ります」
「あ、待って百花ちゃん」
お母さんが私を引き留める。
「……浅黄ね、昔、よくあなたのことを話していたのよ?」
「え?」
「あの子の妹……萌黄(もえぎ)って言うんだけど。『女の子ならモモちゃんみたいになるかな』とか、『いっぱい泣いて、モモちゃんみたい』とか。……あの子が中学生になるくらいまで、ずっと言っていたの」
頭の中に、小さなあさぎくんが蘇ってくる。
私が泣いて別れを惜しんで迷惑かけたと思っていたけど、その私の姿を、彼はずっと覚えていてくれたのか。
「たった一度会っただけのあなたのことをいつまでも口にするから、私、浅黄の初恋ってモモちゃんだったのかなって思っていたの。……だから私、あなたが今、あの子と同じ会社って聞いて、てっきり付き合いだしたのかと思っちゃった」
「やだ、違います」
でも、私が何度も思い出したように、彼も私を思い出してくれてたって思っていいのかな。
「ね。会社での浅黄のこと、教えてくれないかしら。彼女とかいないの?」
お母さんは、私を導くようにほほ笑む。
「あさぎくんは主任で。……人気者ですよ。同僚の女性も彼に好意を持っている子がいっぱいいます。……でも、あさぎくんはわけへだてなく優しいっていうか……」
あの美麗さんさえ、ふられた。
専務を介した政略結婚は、ほぼ絶対的だったはずだ。
だけどあさぎくんは、出世にも響くと分かっていてそれを断った。この様子を見ていたら、ご両親に相談さえしていない。
ひとつも迷いなく、断ったってことが見て取れる。
それはおそらく、あさぎくんの優しさだ。
彼のことが好きな美麗さんにとって、結婚相手から求められないのはつらいに決まっている。