水竜幻想
* * *
例年だと腰まで積もる雪もこの冬は僅かで、くるぶし程度までしかない。かといって暖冬というわけではなく、空っ風が吹き荒れ体温を奪う厳しい寒さだ。
今年も辺り一帯は酷い干魃に見舞われ、ほとんどと言っていいほど収穫ができずにいた。
この雪の様子だと、次の春の雪解け水も期待できるほどではないだろう。
それなのに取り立てられる租は減るどころか増加され、里人の生活は困窮を極めていた。
新年を迎えるにあたって捧げる、山の水源におわす竜神様への供物さえ用意できない有様に、里は頭を抱えていた。
そしてついに、最後の手段を使う。
夜明け前の山道を、白い単衣のハルを乗せた輿が進む。輿といっても戸板に棒を打ち付けただけの簡素なものだが、それでも担ぐ里の男衆の足取りは重かった。
水の涸れた滝へ着くと輿が下ろされる。
ハルは雪の上に裸足で立つが、不思議と冷たさを感じずにいた。
「ハルよ、本当にすまない。不甲斐ない我らを許してくれ」
里長は俯いたまま声を震わせた。そのマメやタコだらけの手に触れて、ハルは精一杯の笑みを作る。
「長、そんなことを言わないでください。二親のいない俺をここまで育ててくれた、里のみんなに恩返しができるんです。俺は満足しています」
「……ハル」
「竜神様にお会いしたら、里のことをしっかり頼んでおきます。任せてください」
木立の合間から遠くに見える山の稜線が白み、新年最初の陽がゆるゆると顔を覗かせ始めた。
誰からともなく無言のうちに神事の準備が進められていく。
白い布で目隠しをされたハルは、手を引かれ滝壺のほとりへと導かれる。うっすら雪の積もる地に正座し手を合わせていると、頭をくしゃりと撫でられた。
その手が次から次へと入れ替わり、最後はよく知った固い大きな手が一層強く髪を掻き回す。
麻の単衣の肩にぽたりと落ちた雫が合図となった。
耳の間近で鈍い音を聞くやいなや、ハルの意識は真っ逆さまに暗闇へと落ちていったのである。
例年だと腰まで積もる雪もこの冬は僅かで、くるぶし程度までしかない。かといって暖冬というわけではなく、空っ風が吹き荒れ体温を奪う厳しい寒さだ。
今年も辺り一帯は酷い干魃に見舞われ、ほとんどと言っていいほど収穫ができずにいた。
この雪の様子だと、次の春の雪解け水も期待できるほどではないだろう。
それなのに取り立てられる租は減るどころか増加され、里人の生活は困窮を極めていた。
新年を迎えるにあたって捧げる、山の水源におわす竜神様への供物さえ用意できない有様に、里は頭を抱えていた。
そしてついに、最後の手段を使う。
夜明け前の山道を、白い単衣のハルを乗せた輿が進む。輿といっても戸板に棒を打ち付けただけの簡素なものだが、それでも担ぐ里の男衆の足取りは重かった。
水の涸れた滝へ着くと輿が下ろされる。
ハルは雪の上に裸足で立つが、不思議と冷たさを感じずにいた。
「ハルよ、本当にすまない。不甲斐ない我らを許してくれ」
里長は俯いたまま声を震わせた。そのマメやタコだらけの手に触れて、ハルは精一杯の笑みを作る。
「長、そんなことを言わないでください。二親のいない俺をここまで育ててくれた、里のみんなに恩返しができるんです。俺は満足しています」
「……ハル」
「竜神様にお会いしたら、里のことをしっかり頼んでおきます。任せてください」
木立の合間から遠くに見える山の稜線が白み、新年最初の陽がゆるゆると顔を覗かせ始めた。
誰からともなく無言のうちに神事の準備が進められていく。
白い布で目隠しをされたハルは、手を引かれ滝壺のほとりへと導かれる。うっすら雪の積もる地に正座し手を合わせていると、頭をくしゃりと撫でられた。
その手が次から次へと入れ替わり、最後はよく知った固い大きな手が一層強く髪を掻き回す。
麻の単衣の肩にぽたりと落ちた雫が合図となった。
耳の間近で鈍い音を聞くやいなや、ハルの意識は真っ逆さまに暗闇へと落ちていったのである。