水竜幻想

竜胆

* * *

水の音がしていた。

雨だろうか。だとしたら、ずいぶんな大雨だ。
常葉《ときわ》は確認しようとするが、瞼はいっこうに持ち上がらない。それどころか、指の一本も思うように動かせない。
しかたなく、もう一度耳を澄ませて、その正体に思い当たる。

――滝の音。

常葉は、里に流れる川の源である、山深い滝を訪れていたはずだった。
そこで岩肌に竜胆《りんどう》をみつけたのだ。霧雨のような飛沫《しぶき》を浴び、なおいっそう瑞々しく咲く、青紫の花。

そうだった。開花の季節にはやや早く、たった一輪だけ花を付けたそれに手を延ばして――。

身じろいだ瞬間、常葉の右足首に激痛が走って息が詰まる。一旦痛みを自覚してしまうと、その箇所が燃えるように熱く感じられた。

痛みか熱かもわからなくなるほどの傷があるのだろうか。確認しようにも、身体中に痛みが飛び火したようで起き上がるどころか、目を開けることさえできずにいた。

痛みと不安から、上下の瞼の隙間にじわりと涙が滲む。

「ほう。目覚めたか」

常葉の耳が水音以外の低い音を拾う。さわさわとした衣擦れは、間近で止まった。
同時に清水の香りが常葉を包む。滝壺のほとりに立ったときと同じ、清涼な気が満ちていく。
氷が溶けるように、身体のこわばりが解れていくのを感じた。

けれども、睫毛を震わせながら薄く開けられた双眸に映るのは、月のない夜のような闇ばかり。
あれからどれほどの時が経っているのだろうと考えて、常葉はようやく違和感に気づいた。

背にあたる感触は固い。だが、地面などのそれとは異なる。だらりと身体の両脇に投げ出した手に伝わる冷たさから、板の間に寝かされているとわかった。

「こ……こ、こは……」

まだぼんやりとした視野の外にいるはずの衣擦れの主に問う。
掠れ声が届いたのか、さわりと空気が動いた。
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