水竜幻想
――喰われるっ!

思わず目を閉ざす。自分から懇願した事のはずなのに、歯の根が合わずにかたかたと音を立てていた。

だがいつまで経っても、訪れるはずの痛みはやってはこない。
ハルがそっと瞼を上げると、眉根を寄せ思案の色に染まる濃紺の瞳と交わった。

「おぬし、名は?」

「――ハル、です」

「では、ハルとやら。そこまで言うならば、刻が満ちるまでここにいるが良い」

刻とは? 訝かるハルの身体がふわりと宙に浮き、あろう事か竜神に米俵のように担がれる。重さなど全く感じていないような足取りで渡殿を進む竜神の肩で、ハルはばたばたと手足を動かした。

「え? なに? なんですか? 降ろしてくださいっ!」

「暴れるな。落とすぞ」

落ちるでなく落っことすなのだと、妙に冷静な思考が働き、ハルは呼吸まで止めてじっとしていた。

逆さまにされた視界には竜神の広い背中しか映らないので、どこに向かっているのはは全く予想も付かない。
さすがに息が苦しくなった頃、もわっとする湯気が視界を埋め尽くした。

まさか本当に鍋に入れられるのではないか。焦るハルを、竜神は躊躇いもなく放り投げた。

派手な水音を立て湯気の発生源へと落とされると、ハルは反射的に悲鳴を上げる。

「熱っ! ……くない?」

それどころか身体の奥からじわりと温まる温度の湯が、大きな盥のようなものに惜しげもなくなみなみと溜められたところへ放り込まれたのだと気付いた。
単衣ごと湯に浸かり、髪から雫を滴らせて呆然とするハルに、竜神が尊大に言い放つ。

「とりあえず、その垢にまみれた薄汚い身体をなんとかしろ」

湯殿の戸をぴしゃりと閉め、立ち去ってしまった。
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