水竜幻想
竜神は以前にも増して、ハルに様々な事を教え込んでいった。

楽や詩歌、学問に留まらず、薫物合や囲碁などにまで及び、死んだ自分になんの役に立つのかと思うようなものばかりだ。
だがそれも、覚える行為が根無し草のような自分の存在を確かめる事に繋がる気がして、一心に取り組むことができた。

――。――ル。ハル……。

誰かに呼ばれた気がして目を覚ますと、傍らに竜神が並んで座っていた。笛を手に眠ってしまっていたらしい。
最近、なぜか昼間でも居眠りが多くなっていた。

「すみません。お呼びでしょうか」

「……いや。そう、笛を吹いてはくれぬか」

竜神には及ばないものの、だいぶ腕を上げたハルは快く応える。

梅が綻ぶの初春の庭に新たな春を言祝ぐ曲の音が広がると、呼応したように花びらが舞い踊る。その紅白の霞の向こうから、また声が聞こえてきた。

――ハル。ハル。ハル……

知らない声。懐かしい声。そして、初めて聞くのにとても温かく感じる優しい声。
たくさんの声がハルを呼ぶ。

最後の音を奏でた笛を口から放すと、ハルの身体を春風が取り巻いた。

「ハル」

竜神が己を呼ぶ声に、首を巡らそうとした視界を霞が覆う。

「吾は、桜が山を覆う春が一番美しいと思うぞ」

少し寂しげな声が、溶けてゆく意識に混じっていった。
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