水竜幻想
常葉に確証があったわけではない。

ただ、里を潤す川の源にある滝にまつわる言い伝えは、童女の時分より幾度となく聞かされていた。
そのほとりに建つ小さな堂には、水の守神である竜神が祀られている、と。
 
畏れ多くも神を呼び止めようとするなど不遜極まる。だが意外にも、竜神は足を止め振り返った。

「我は神などではない」

柳葉形の眉を歪めるさまはいかにも不服のようだが、立腹というわけではなさそうである。

常葉は床に手をつき深く下げた。

「お願いがございます。わたくしをこちらに置いていただくわけにはまいりませんでしょうか」

「ならぬ」

「ずっとなどと図々しいことは申しません。ほんの数日でかまわないのです」

願いを一刀両断で切り捨てられてもなお、深く頭を下げて食い下がる。

「ならぬものはならぬ」

「どうかお願いでございます!」

踵を返す竜神に、床を這ってすがりついた常葉が、指貫の足ごと持ちあげられる。そのままふうわりとひっくり返され、袿の上に転がった。

仰向けに晒された白い喉に、氷のような指がするりと巻き付く。

「人の世に戻りたくないとな。やはりあのまま捨て置くべきであったか」

指先がゆっくりと肌に沈んでいき、常葉は息を求めて目も口も大きく開いた。その瞳には、眉ひとつ動かさずに冷徹な表情で己を縊ろうとしている竜神の顔が映る。

「……い。…き、……たい」

霞みゆく視界。途切れかける意識の中、常葉は喘ぎながら震える手を宙に伸ばした。
指先に吸いつくような肌をもつに顔に辿り着くと、思いっきり爪をたて、押し退けようとする。
けれども、竜神は力を弱めることはない。

「短き生をも全うする気がないのであろう? 望みどおり冥途へ送ってやろうではないか。それとも喰ろうてしまおうか」

昏さを増す視界の中、薄ら笑みを刷いた紅い口だけがくっきりと浮かんだ。

いっそう食い込む指に、頚骨が軋み瞼が落ちる。
常葉は最期の力を振り絞り、生にすがるように掴んでいた手で竜神の頬を引き掻いた。
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