人魚のいた朝に

「海に、連れて行けなかった」

彼女の髪を掻き分けて、その首筋に触れないようにそっとネックレスのチェーンを回す。

「毎日見とるから、別に平気」

「友達とは?海には行ってない?」

真っ白な項に、眩暈を起こしそうだった。
だからそれを悟られないように、必死で会話を続けた。

「あーうん。友達とは」

「・・・もしかして、おばさんたちと行った?」

「ううん。違う」

「そうなの?じゃあやっぱり、海には行けなかった?」

初空は海が大好きだけど、あの事故以来自分の足では近寄ることも出来なくなった。だから、彼女を海まで連れて行くことは、僕に与えられた大きな役目だった。

「・・・あのね、」

「ん?」

「・・・」

「初空?」

珍しく会話に間を作った彼女が、ゆっくりと息を吐く音が聞こえた。

「会社の人と、行ったの」

「・・・え?」

「だから、海!お盆休みにね、みんなでBBQしようって話になって。いつもは、うちが行っても邪魔になるだけだから断っとるんだけど、今年は夏で辞める同期の子がいたから、一緒に行こうって話になって」

「うん」

「それで、海に行ったの」

よくわからなかった。
よくわからないけれど、ネックレスを付け終えた僕の指先に、彼女の心臓の音が伝わった気がした。それは明らかに速い心拍で、目の前にある彼女の背中が遠くに感じた。

「・・・ふえ?あ、あおい??」

「あの、えーっと、うん」

「・・・うん」

「うん」

気づいたら、後ろから抱き締めていた。
よくわからない感覚に襲われて、今すぐに初空に触れたくなった。

「初空」

「・・・」

「海に、行こう」

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