人魚のいた朝に
ザーザーと音を立てる一月の海は、なんだかとても静かだった。
それでも彼女を背負った僕は、熱に浮かされたように全身がざわざわと煩く音を立てていた。
「セイレーンはもともと、上半身が人間で下半身が鳥だったの」
「とり?」
「そう。だけどいつの頃からか、人魚として描かれるようになったの」
「なんか、想像出来ないね」
「え?」
「下半身が鳥って」
そう言った僕の耳元に、クスクスと笑う声が聞こえる。
「美しい歌声で、船人たちを遭難させたり難波させたり、食い殺したなんて話もあるの」
「随分と物騒だね」
「うん。だから怪物として恐れられとった」
「じゃあ、ローレライと同じか」
「・・・覚えてるん?」
初空はよく、僕に人魚の詩を聞かせてくれた。
それも最近は聞かなくなっていたことに、今になって気づいた。
「覚えてるよ。初空の作る詩は、いつも綺麗だったから」
「・・・そっか」
「セイレーンの詩はないの?」
「あるけど、家に帰らんとノートがない」
そう言ってまた笑う初空の身体を一度背負い直した後で、僕はまた海に近づいた。
「次は、なるべく近いうちに帰るから」
「うん」
「また聴かせてよ」
あの頃みたいに、二人きりで。
「桜が咲くまでには、帰って来てね」
日々変化していく時間の中で、変わらないものもあると思っていた。
だけど本当は、見逃しているだけなのかもしれない。
「わかった。約束する」
初空も、僕も、変わってしまっているのだろうか。
青い空はどこまでも続く。
だけど昨日とは違う色になり、ゆっくりと、音もなく変わっていく。
そして過ぎた時間は、二度とこの手に戻らない。