人魚のいた朝に
4.

「あおいー!こっち!」

よく晴れた三月の日曜日。
地下鉄の改札に立つ僕を呼ぶ声が響いた。顔を上げると、正月に会って以来の初空と、おじさんとおばさんが、僕に向かって手を振っていた。

「初空、おはよう。来るの大変じゃなかった?」

急いで駆け寄る僕に負けないスピードで、車椅子をクルクル回しながら目の前に来た初空が、「大丈夫」と言って笑う。
この街で、彼女の笑顔に出逢えるなんて、夢にも思っていなかった。

「お父さんとお母さんは、お兄ちゃんたちと合流してから別の場所の観光に行くから、四時にまたここに集合だって」

桜色のロングスカートの上に乗せた鞄からは、この旅行の為に買ったのであろうガイドブックが飛び出している。

「あおちゃん、悪いけど初空のこと頼むな」

「何か困ったら、すぐに連絡してくれてええからね」

あの町に、僕ら一家が引っ越して来た時から、自分の子供のように可愛がってくれた初空の両親。今でも僕が帰省すると、おばさんの店に飲みに来るよう誘ってくれる。

「わかりました。あと、これ頼まれていた美味しい店リスト」

昨日の夜、パソコンの前に座り続けて、どうにか完成させたそれをおばさんに渡すと、大喜びで受け取ってくれた。

「青一が調べたの?」

クイクイと、僕のシャツの裾を引っ張った初空が、眉を顰めて僕を見上げた。
きっと信じられないと言いたいのだろうけれど、そう思われても仕方ない。

「まさか。太一に情報貰って、僕がまとめただけ」

素直に白状した僕に、初空が「やっぱり」と得意気な笑みを見せた。
それだけで、思春期の男子学生のように胸を躍らせてしまう自分に戸惑いながら、初空と一緒に笑った。

「そしたら、また後でね」

一通り話をし終えたおじさんとおばさんが、そう言ってまた改札の中に入って行った。二人はこれから、すでに結婚しているお兄さんと、その奥さんと子供と久しぶりに会えるのだと嬉しそうに話していた。
肩を寄せ合い歩いていく背中を見送ると、初空と二人顔を見合わせた。

「僕らも行こうか」

「うん。楽しみ」

ゆっくりと車椅子を押す僕を振り返った初空が、あの頃から変わらない無邪気な笑みを零した。

< 37 / 61 >

この作品をシェア

pagetop