悪しき令嬢の名を冠する者
 ヴィンス様が退屈しのぎに忍び込んだ舞踏会。壁の花を決め込む彼女は、どの令嬢よりも美しかった。そんな彼女を見初めたヴィンス様はダンスを申し込む。

 僕が気付いてしまったように、彼女も僕に気付くかもしれない。淡い期待と焦燥。護衛係として彼の数歩後ろを歩みながら、震える手を背に隠した。

 心臓はやたら暴れ、呼吸が浅くなる。まるで溺れているかのような錯覚に陥りながら、僕は無表情を貫いた。自分は〝ユアン〟であると反芻して。

 結局、僕に気付かなかった彼女は彼の誘いを顎で断り、あまつさえ嫌味を置き土産にした。

 思わず苦笑した僕に勘違いしたのだろう。彼は赤く染まった顔を伏せる。耳まで侵食した紅に唇を撓らせていると、諦念にも似た感情が渦巻いた。
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