悪しき令嬢の名を冠する者
「どうして……」

「すみません」

「どうして……謝るの……?」

「すみません……」

 やはり無知が一番恐ろしい。一番、心を傾けていた相手が、私の命に手を掛けるのだから。

 全て嘘だったのだろうか。誓いの言葉も。過ごした月日も。愛の告白も。

 涙と共に感情も洗い流せたら楽なのに。抵抗しない私を押さえつける力が痛い。背に感じる柔らかな温もりが痛い。涙を零すことが許されない、この場が痛い。

 痛いのは触れられた身体じゃない。熱くなる喉でもない。行き場のない心だ。

 大人しく従うマリーは、扉に手を翳し開け放つ。前に進むよう促された私は両足を叱咤し入室を果たした。
< 291 / 374 >

この作品をシェア

pagetop