短編集
【怖】透明人間
透明人間
“おれをけしてください”
そう願ったのは自分なのに、なんでおれはこんなに焦ってるんだろう。
……数分前、父さんと些細なことで喧嘩して家を飛び出した。うしろで父さんがおれの名前を叫んでいたけど、おれは振り返らなかった。
とにかく父さんのいない場所に、どこか遠くに行きたくて。走って走って……
気が付いたらおれは見たことのない世界に迷い込んでいた。
「はあっ……はあっ……っ……!」
二足歩行で街を闊歩する彼らは何者だろう。
虎のような大きな牙と鋭い爪。全身を覆う体毛で肌の色は見えない。
頭の上に耳が生えている者もいれば、角があったり、しっぽをつけている者もいる。
おれと共通しているのは二足歩行で服を着ているということくらいで、でもそれはきっと……“人外”と呼ばれる存在なんだろう。
「うあっ……!!」
足がもつれて地面に転げると、その拍子で舞い上がった砂埃が肺に入って激しく咳き込んだ。ゴホゴホ、ゴホゴホ。胸の奥が痛い。
……彼らはすぐ足元で子供が蹲っていても、そこには何も無いかのように通り過ぎていく。
まるでおれが見えていないみたいに。目を向けるどころか興味さえも無いみたいだ。
「…………っ……んで……」
……なんで。
……………………なんで。
…………………………………………なんで????
おれは、ただ…………
「かえりたい……」
それだけなのに。
……呟きながら、ぽたりと涙がこぼれた。その一滴を合図にどんどん感情が押し寄せてくる。
もう家には帰れないの?
友達とも遊べないのか? まだゲームもクリアしてないし、一緒にハイキングへ行く約束もした。
まだまだ、やりたいことたくさんあるのに。
父さんとももう、会えない……?
父さん……
こんなことになるなら、あんなこと言わなきゃよかった。
あんなこと……あんな…………
「あれ……なん、だっけ…………」
思い出せない。あんなことって何だっけ。
おれ、父さんと何かあったんだっけ?
頭がぼんやりする。さっきまで胸が重苦しかったはずなのに、今は嘘みたいに涙も引っ込んだ。
「……おれ、誰だっけ」
ここで何してるんだっけ。
なんで泣いてたんだ。変なの。
いや、変って何だっけ。
……あぁ、もう、、いいや。
“ ”
……誰かがおれの名前を呼んだ。
たぶん、おれの名前。
まわりを見渡すとひとつの双眸と目が合った。
周りの彼らが無言で歩き続ける中、一人だけそこに佇んでいる。
モノトーンの燕尾服を着た、誰よりも異質な、その何か。
ぎょろりとした大きな目で、真っすぐおれを見ていた。
燕尾服のそいつはおれと視線が合うと、ゆっくりした足取りへこっちへ近づいてくる。
こつり、こつり。おれの周りには他にも大勢が歩いてて足音がうるさいはずなのに、そいつの足音だけはやけにはっきりと聞こえた。
彼の手が届くまであと少し。あと五歩、四歩、三歩…………
「…………ッ……??」
右手が熱い。
反射的にそっちへ目を向けると、手首に付けていたミサンガが目に入る。
黄色と緑のストライプカラー。父さんが作ってくれた。
「……かえ……なきゃ」
帰らなきゃ!!!!
ばっと立ち上がり、燕尾服のやつとは反対の方へ駆け出した。
おれが走り出すとやつも追いかけてきた。でも何もなくだけど、あいつに捕まったらおしまいだと思った。
走って、走って。おれはひたすらに願った。
父さんに会いたい。父さん……、父さん…………!
おれ、父さんに言わなきゃいけないことがある。
気が付くと白い天井が見えた。
知らない天井、知らない部屋、知らない景色。
でもそこがどこだかわかった。
「…………とう……さ、ん」
かすれる声で、おれは目を瞑りながらおれの右手をぎゅっと握る父さんに呼びかける。
父さんはおれの声に気付いたのか、ゆっくり目を開けた。
「っ……、っ…………!!」
父さんはおれの名前をひとつ呟くと、ベットに横になるおれを抱きしめた。
ぎゅううっと、強く。涙で顔をぐっしょり濡らしながら。
「よかった……よかったッ…………」
「お父さん……ひどいこと、言って……ごめんね……」
そういうと父さんは一瞬目を丸くしたけど、泣きながら笑ってこう言う。
「父さんも、ごめんな」
“帰ってきてくれてありがとう”
そういうと父さんはまた泣きだした。
もう離すもんかというように、おれの右手をぎゅっと握りながら。
少し痛かったけど、おれはそれが嬉しくて。反対の手で涙を拭いながらその手を握り返した。
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