血潮燃ゆーー月よ、星よ、我が祈りを聞け!
勃発
島原は荒れていた。

百姓は松倉勝家の領する島原藩と、寺沢堅高の領する唐津藩からの労働酷使と過重な年貢の取立てに窮していた。

島原はキリシタン大名だった有馬春信の所領で領民のキリスト教信仰が盛んだった。

慶長19年(1614年)有馬春信が転封となり、代わって大和五条から松倉重政が入封した。

重政は江戸城改築の公儀普請役を受け、独自にルソン島遠征を計画し先遣隊を派遣したり、島原城を新築した。

がそのために領民への年貢取立ては、年々厳しさを増した。

さらに重政はキリシタン弾圧も開始し、年貢を納められない農民や改宗を拒んだキリシタンに対し、拷問・処刑を行った。

次代の松倉勝家になっても重政の政治姿勢を継承し、過酷な取り立ては続いた。

天草は元はキリシタン大名、小西行長の領地だった。

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