愛のない、上級医との結婚
ぺこりと頭を下げた私を一瞥して、高野は立ち上がった。
それに合わせて私も慌てて立ち上がる。
「じゃあ、そういうことで理事長には伝えておきます」
「は、はい。そしたら私からも父に言っておくので」
そう言うとこくりと彼は頷いてその勢いのまま、カンファ室を出て行こうとする。そんな高野を、慌てて私は引き留めた。
「あっ、高野先生!」
待って、と高野の白衣の袖をついと掴んで引き止める。
近付くと、高野は清潔な柔軟剤の匂いがした。それだけで鼓動が早くなる。
「私……2年前、まだ研修一年目だったとき、先生と一度だけ話したことがあると思うんです。
覚えて……ますか?」
ローテートする研修医なんて毎月変わるし、この病院には毎年20人以上新しい研修医が入ってくる。上級医にしてみたらいちいち覚えてもいられないだろう。
けれど、……もしかしたら覚えてくれていて、この子とだったら結婚してもいいかな、なんて思ってくれていたらいいのに。もしそうだったら、素敵なのに。
淡い期待を込めてそっと高野を見上げた。
振り返った高野は、じっと私を見つめる。
あの時と一緒だと思った。心電図の読み方を教えてくれたとき、時折そんなふうに私をみつめる。
きっとこの視線は高野の癖なのだろうと思った。