隠れクール上司~その素顔は君には見せはしない~1
2月。すぐに沙衣吏に。
「どうしたの? 関店長と何かあった?」
と、更衣室で掴まえられた。
「いや、なんもないですけど」
と、言いながら顔はにやけてしまっている。
「何もないって感じじゃないよね。携帯部門でも話題になってるらしいよー、めちゃくちゃ親しそうに話してるって。昨日も昼の食事休憩一緒だったでしょ?」
「まあ……」
まだ子供のことなど核心には触れていないので、急ぎ足になってもいけないと顔を伏せて隠す。
「なんか、用ほっといて休憩入ったって倉庫の子が言ってたよ。ほんと?」
「いや、そんなまさか……」
嘘、そこまでして一緒の時間を作りたいとか思ってくれてた!?
「でも、湊部長と仲良いのも知られてるみたいだしさ。気をつけなよー。後ろから刺されるかも」
それは気をつけてたつもりだけど、この前1日店長代理だった時に、最近仲良くなっていたせいか、少しの会話だけどいつも通り話した……しまったな。
「…それほどではないですって」
「………まあいいけど」
沙衣吏は勘違いしたのか、それ以上詮索しない。
「お疲れ様」
三度、関は隣の席に腰かけてくる。目の前には沙衣吏がいるが、彼女はさすがに目をぱちくりさせ、こちらを見つめた。
が、知らん顔する。
「お疲れ様です」
「中津川」
「はい」
話しかけられたことを意外に思ったらしく、即反応した沙衣吏は目を開く。
「さっきメールでテレビのリコールの件が昼の情報番組で放送されて、メーカーに問い合わせが殺到してるって内容がきてた。うちにも問い合わせが来るだろうから周知しといて」
「はい」
今座ったばかりの沙衣吏は立とうとする。
「あ、いいよ。後で」
「……急ぎだと思うので行きます」
沙衣吏は無表情だ。これは、完全に業務の一環だと思うが、
「……」
突然関は顔を寄せてくる。
「中津川は航平部長が好きなの?」
小声で何を言い出すかと思えば!!
「えっと……」
美生は周囲を見渡した。大丈夫、誰にも聞こえてはいない。
「聞こえてないよ」
関は小声で低い声で笑った。
「えっと、最初はそういう事だったんですけど」
「あれ? 今は違うの」
「えっと……元の彼氏に戻ったようです」
美生も、合わせて小声で喋る。
「、あぁ……」
え、まさか知ってる!? 沙衣吏の彼氏を知ってる!?
「、え?」
関と真顔で目を合せた。
「えっと、えっと、えっと」
「えっと、えっと、えっと」
関は楽しそうに繰り返す。
「いや、ほんとに、えっと!」
もう目が合って恥ずかしいのなんのってない!
「何なの、ほんとにえっとって」
関は笑って、弁当に目を落とした。
ようやく、頭が回り始める。
「あの、その人知ってます?」
「……口止めされてるだろ?」
完全に見抜いた上で笑っている。
美生は凍りついた。
「黙っといた方がいいぞー」
「いやあの、私は何も知らないんです」
「あ、そうなの?」
美生は真顔で頷いたが、関はそんなことどうでもよさそうに、ご飯を口にした。
「なんで関店長はご存じなんですか?」
「うーん、そりゃ、世界平和のために」
大きくとぼけてみせた。ということは、絶対何かある!
「世界平和、世界平和ですか」
「いや、冗談だよ?」
関は眉間に皴を寄せて否定したが、
「それは分かってますが!!……世界平和……」
確かに、それは一理あるかもしれない。
「冗談だからね」
関は空になった弁当を持ち、また売り場に戻ってしまう。
世界平和か……確かに、不倫を隠すというのは世界の平和に繋がっているとは思う。
なんだかなあ……世界平和か。
まだ先ほどの世界平和から抜け出せない美生は、腕を組んだまま店長室のパイプ椅子に腰かけ、重要資料を確認していた。先程沙衣吏が出て行った時のテレビのリコールの分である。
おそらくカウンターや電話でも問い合わせがあるだろうから、よく内容を読んでおかなければらないのに、さっきからずっと気持ちが落ち着かないでいた。
1つは、関があまりにも親しく話しかけてくれたから。
もう1つは、関がとことん友達のように話してくれたから。
結局、それ以外の何者でもない。
多分きっと。本当に私のことをいいと思ってくれているんだ。
過去を知っているであろう私なら、理解してくれると考えているんだ。
そうしたらきっと、向こうから言ってくれるに違いない。
絶対これは、その下準備に違いない。
1人、資料そっちのけで、含み笑いしてしまう。
「食事は済んだわね」
突然入室してきた花端は後ろ手で店長室のドアを閉める。
やばい。何かあった。
「はい」
美生はすぐに姿勢を正し、資料をとりあえず右によけた。
花端は目の前に腰かける。
ボブショートがいかにも大人女子といった感じで似合っており、小さなダイヤのピアスも控えめながらも美しく輝いていて、できるフットワークの軽い女というのがバッチリ似合っている。
「……」
しかし、最近は特に順調だし、怒られるようなこともなかったと思うが。そういう時に限って穴というものがあるのは承知しているため、美生は、ただ口を結んだ。
「で、関店長とはいい感じなの?」
予想だにしない質問に、美生は顔を顰めた。
「今その噂でモチキリよ……知らなかった?」
だからなんだというのだ。社内恋愛が禁止になっているわけではない。
美生は、花端も関の事が好きだったんだと即理解し、口をへの字につぐんだ。
「あなたは、湊部長とも仲がいいようだし、いいご身分ね」
無心で視線を下げる。いういう風に言われる筋合いはない。
「でもなんか最近関店長が変なのよねえ」
仲が良いことが変だとでも言いたいのか。
美生は急にそのピアスが憎くなった。
「……」
花端が押し黙る。
美生は痺れを切らして。
「そうなんですか」
と、一言だけ漏らした。
「湊部長から何も聞いてない?」
どういう話だと思いながら、
「何も」
例え聞いていたって喋るものか。
絶対何か聞き出そうとしているに違いない。
だけど、航平は絶対に個人情報とか社内情報とか、言ってはいけないことは喋らないし、どうせ私だけが知っていることはない。
「まあ、私も1年前までは本社にいたからね。色々聞こえてはくるんだけど」
「……」
そういえばそうだ。この人は確か、商品部にいた。まあ、現場が合うような気がしたので全く気には留めなかったが、一体……。
「関店長の家、行ったことある?」
まさか、そうくるとは思ってもみなかったので、
「ありません」
間を空けずに即座に本当のことを言う。
「もぬけの殻なのよ、アパートの方は」
話がいきなり核心に迫っているのを感じて、美生は全く動けなくなる。視線はすぐに下へと下がった。
「………」
「知らない?」
「知りません」
「じゃあ、今一軒家で子供と住んでることも?」
営業部の人も薄々知っている人はいると思うけど、という航平の言葉だけが蘇る。
「あ、これは知ってたみたいね」
リアクションするのを忘れ、見破られる。
「年末のお葬式が自殺した奥さんの妹さんだったってことは?」
「自殺?」
全てが白紙になり、花端の目を見た。
「あ、これは知らなかったみたいね」
「自殺した奥さんって、店長結婚されてたんですか?」
「違う違う、そうじゃない」
花端は笑いながら、足を組み直す。いやに余裕がある口調に、しびれが切れる。
「じゃあ、内縁の奥さんとかですか?」
「そうじゃない。知らない? あの人営業では切れ者だったのよ」
その話は薄々は聞いた事がある。営業部の時は笑わないほどクールだったそうだが、店舗勤務になってから変わった、ということだけ。でもそれは、接客をするんだから、当然のことだと……。
「すごかったわよ。1人で何件も契約とって。他の人が行って取れなかったところを取ってくるの。もちろん正規の方法でね。本当にデキる男って感じでね」
知らない、過去が浮き彫りになっていく。
「ところが、1人営業で冴えない男がいてね。若くして結婚して子供もいたんだけど。その人がよく関さんになじられてたそうだわ」
「………」
心臓の音がただ聞こえる。
「ある日突然夫婦で首つり自殺。残った子供を今関さんが見てるのよ」
「……」
声に、言葉にならなかった。
アイツの根は深い……そういうことだった……。
「こないだ亡くなった叔母さんはその奥さんの妹らしいけど、罪滅ぼしにその人の面倒まで見ててね。
夫婦の葬式では、だいぶ言われたらしいわ。パワハラだったって」
そんな……まさか……。
「そこでその子と病気がちだった妹さんの面倒をみるように…押し付けられたのね」
「………何年くらい前の話ですか?」
何故か、突然妙に落ち着いてその言葉が出た。
「3年前よ」
ということは、航平もその場に……。
「それで、店舗に下りてきたわけ。分かる? 結構しんどいのよ、あの人。あなたが思ってるより、ずっとね」
それは、航平にも言われた。
「最近よく話してるでしょう」
「……」
はい、とは言いたくない。
「だーいぶ疲れが溜まってるのね。どうせその妹さんのお葬式でも色々言われただろうから」
「…………」
……でも、これからは私が、ちゃんと見てあげれば!!
私なら、花端よりも、ちゃんとそばで役に立ててあげられる!!
「あの人はその事に他人を絡めたくないと思ってるのよ」
「……」
だからなんだといとうのだ。
「あなたが子供をみるつもり?」
なんでそんなに話が飛躍する……。
「その覚悟、ある?」
まっすぐ目を見て聞かれた。何故今このタイミングでこの人にそんな覚悟を問われなければならないのか分からなかったが、
「あります」
目を見てこたえてやる。
「いや、そういうのを聞いてるわけじゃないから」
途端に花端は笑いすかして言う。
「今私があなたに言ったことは、一切他言しないでね」
「………」
そりゃもちろんそうだけど、それを聞いた私はどうしたら……。
「じゃ、業務に戻りましょう」
花端は、1人先に出て行ってしまう。