隠れクール上司~その素顔は君には見せはしない~1
 そんなある3月初めの日曜日。

 出社していた矢先に、スマホに公衆電話から電話がかかってきた。

 不審に思いつつ出ると、孝一からだった。

 会って話がしたい、奨学金の面接に合格した、という電話だった。

 すぐさま店を飛び出した俺は、孝一と落ち会い、ファミリーレストランに入った。

「……」

 隣には、同い年くらいの女の子がいる。彼女か、とちらと孝一を見たが、話さない。

 仕方なく、

「…友達?」

と、聞くと、

「彼女」

とはっきりと言い、俺が驚くよりも、彼女が孝一のセリフに驚いていた。

 そして、彼女の顔がより真剣になる。

「あ、私は小野寺と言います。初めまして」

 しっかり頭を下げてくる。しかし俺は時間も気にしながら、「初めまして」と、短く挨拶をした。

「仕事の途中に抜けて来てもらって…すみません」

 中学になり、突然敬語を遣われたので驚いたが、無視して聞く。

「さっきも言ったけど、僕、奨学金制度の面接を受けて合格したんです」

「うん……おめでとうと言っていいのか分からないけど」

 俺は、正直に話した。

「その……。僕は、本当にその…関さんのことは、申し訳ないとずっと思ってて……」

「それは…こっちの方が迷惑をかけたんだから…」

 それ以上に言葉は何も続かない。

「お父さんとお母さんが自殺したって話ですよね?」

「……」

 まさか、今になってその恨みを連ねられるとは思いもせず、身体が硬直した。

 実の子にそう言われて、言葉などは出ない。

「あれは、違うんです」

「……」

 一時、停止した。

「叔父さんはそう言ったかもしれないけど、親戚の人は結構知ってます。お父さんが浮気して喧嘩になってお母さんの首を絞めたから、病死にしようって。おじいちゃんが医者なんです。だから、心筋梗塞の方が体裁がいいって言って」

「そんなこと、できないだろう!?」

 何を言えばいいのか分からなかったが、とにかく、思ったことを口にした。

「どう処理したのかは知りませんけど…。でも、お父さんは別に逮捕されたわけじゃなかったし。
 でも結局お父さんは自殺しました。その理由は分かりません」

「日記があったって、日記があったってお兄さんが言ってた!」

 俺は、ただ顔色を変えない孝一を見つめた。

「お父さんは日記を書くような性格じゃなかったし。なんか、女の人からよく電話はかかってたみたいですけど、そういうのが色々あったんだと思います」

「嘘だ!!!」

 俺はテーブルに拳を叩きつけた。

 目の端で彼女が怯えた顔を見せたが、構わない。

「実際親戚の中で、僕をどうするか、詩織おばさんの病院費の借金をどうするかということは問題でした。だけど、ホームエレクトロニクスの営業部の給料はいいからどうにかしてもらおうと、そんな事………だったと思います。
 知ってたけど、言えませんでした……」

 孝一は潔く頭を下げた。

 俺はただあっけにとられる。

「でもその! 孝一君は色々自分でしようとして、お金を稼ぎたいって言って、投資事業を始めたんです。そしたら、先月だけで100万稼いで…」

「僕は、もう関さんに頼りながら生きていきたくはないんで……。なんとか自分で色々できるように……たまたま、小野寺さんのお父さんが投資家だっていうから勉強させてもらって」

「……だから、黙ってたことは悪いと思うんです!! でももう、おじ…さんには迷惑をかけたくないと思ってるんです! だから……」

「おじさんの……お父さんのお兄さんのことはもう放っておいてください。僕も連絡はしませんから。
 詩織おばさんのことは僕がお墓詣りもするし、もう関さんにしてもらうことは何もありませんから」

 冷蔵庫の空気が冷たい。

 何もない冷蔵庫がこんなにも素晴らしい。

 関は、1人笑いながら、頭の隅に関美生を少し思い浮かべる。

 明日は出社だ。関美生も出社だっただろうか。

 そう思った途端、携帯電話のバイブ音が鳴り、表示画面を見た。

 そこには、湊 営業部長の名前が赤々と表示されていた。

 まず説明して安心させなくては、と冷蔵庫を閉めながら電話に出る。

「お疲れ様です」

『お疲れ様。今日は出社?』

「いえ。休みです。丁度僕もお話したいことがあって」

『…、何?』

 その声からは何も読み取れない。

「僕と一緒に住んでいた子供なんですが」

『……』

「中学受験して寮に入るお話はしたと思うんですが、実際寮に入って、奨学金制度を自分でとってしかも、投資事業まで起こして生活できるから、もう関わらないでくれと言われたんです」

『へえー!? 投資事業? 中学生だろ? まあ、できないこともないが…』

「友達のお父さんが投資家でそれで成功したそうです」

『あぁ……そう……。それで関わらないでくれか……』

「それだけじゃないんです。実は山中は女性がらみで自殺したらしくて」

 ということでいい。

『…え?』

「日記もそもそもなかったようで、山中の奥さんは……実は心筋梗塞で亡くなったって」

 ということにしておけ。

『ということは、あの山中の兄さんにふっかけられてたってことか!! それで裁判にはしなかったんだ……』

 航平の深刻な声をただ聞き入る。

『大丈夫か? 一君もびっくりしただろ…』

「はい。でも……今家で1人でいるのが本当に楽で仕方なくて……」

『……あぁ、まあ、良かった……』

 会話が一旦途切れてしまう。

「あの…それで…」

『えっと…ああ、人事の異動の件だな』

「え」

 営業部長が人事? まさか、俺なのか!

「…………もしもし?」
『いや、……いや……もう信じられない気持ちでいっぱいだ』

「僕も先週の日曜に聞いたばかりですけど……。とにかく今は、嬉しいというか、なんというか」

『長かったなあ……3年間。一君には本当に苦労をかけたと思っている。申し訳なく思ってる』

 その、気持ちがこもった言い方に、思わず目尻が熱くなる。

「すみません…こちらこそご苦労をおかけしました。あの時、航平さんが随分押し切ってくれていたのに……」

『いや……』

 それ以上お互い言葉が続かず、長い沈黙が流れる。

『…………あぁ、人事、人事』

「あ、人事部長からではないんですか?」

『あ、いや。またそこからも電話が入るとは思う』

「……はあ…」

 この流れは珍しい。何かあったんだろうか。

『まず、花端副店長から鹿谷副店長に変更』

「はい」

 ほっと一息。自分のことではないようだ。だとしたら。

『関 カウンター副部門長から野坂 カウンター副部門長に変更』

 まさか、そうくるとは。

『役職者はそれだけ。まあ、美生も1回くらい外に出さないと。同じ所にいると腐ってくるといけないから』

「あぁ、あぐらをかいてちゃダメだってやつですか」

 なんとか関は笑ったが、今美生のことをいいと思い始めていたので、内心ショックだった。

『いや……まあそれもあるけど』

 意味深だ。それはひょっとして、手を出すなという牽制なのかもしれない。

 だとしたら、越えられない壁になる。

 あの入れ込み具合は、単に元義妹というだけではなかったわけか……。

「あそうだ。あれからカクテルは作ってあげたんですか?」

『カクテル? あぁ、作れるわけないよ。知ってるでしょ』
 
 微笑に留まる。あぁ、この壁だけは絶対に越えられない。
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