長編執筆に取り掛かる。
宗教家は希望に満ちていないまでも、微笑の存在でなければならぬ、と実際にはとらわれていた。

しかし、鬱的傾向がある自分ならば、その方が自然なのだ。

自分はこの信仰をよきものと思ってる訳だ。

商売として成り立つとは言いがたい。

父は、普通の仕事をしたらどうだと、二度ほど勧められた記憶がある。

また、父は、自身が教師であったけれど、退職後、不向きであったと、告白した。
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