初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
十二
 アントニウスは予告通り、訪問の連絡をしてからやってきた。
 アレクサンドラの社交界デビューの完全な後ろ盾となっていることもあり、無碍にも断れずというのが伯爵と夫人の苦肉の決断だったが、当の本人であるアレクサンドラは、特に気にした風もなく、両親とジャスティーヌの前ということもあり、形式ばった挨拶とお礼の言葉を命じられた通り延々と述べたうえで、ダンスの練習に入ることになった。
 当初は、未婚の娘を男性と二人きりにすることはできないと、夫人が同席を申し出ていたが、アントニウスがお抱えのピアニストを同伴していたこともあり、家族がいると緊張感が出ないかからと言うアントニウスのもっともらしい言い訳で家族は全員部屋から追い出され、ピアノに向かうピアニストとアントニウス、それにアレクサンドラの三人で練習をすることになった。
 アントニウスが来るということもあり、支度品の中には普段着も何着か含まれていたので、ライラは仕立てられたばかりの新しいドレスをいつもよりきつめにコルセットを締めて着せてくれた。

「では、練習を始めましょうか。それでは、最初はメヌエットから・・・・・・」
 アントニウスの言葉に、ピアニストがメヌエットの定番を弾き始めた。
「レディ、お手を・・・・・・」
 アントニウスに促され、アレクサンドラはアントニウスの手に自分の手を重ねた。
「基本のマナーはクリアしているようですね」
 ピアニストに聞こえないように言うと、アントニウスはアレクサンドラを引き寄せ一気にメヌエットの三拍子にのりダンスを始めた。
 ぴったりと体を合わせるようにして踊るワルツと違い、メヌエットはお互いに相手を見ながら反対に動けばいいことと、踏み出す足を間違えても、相手が傍に居ないので足を踏む心配もないし、多少上品さに欠けたとしても、ステップを間違えていることを誰かに気付かれる心配はあまりなかった。
「さすがに、メヌエットは間違えませんか?」
 アントニウスの問いに、アレクサンドラはコクリと頷いた。
「では、次はワルツに」
 アントニウスが声をかけると、ピアニストは無言で頷いた。
 そしてメヌエットの曲が終わると、ワルツの曲が始まった。
 相手の動く方向を見ながら自分の動く方向を確認できるメヌエットと違い、ワルツは気を抜くと男性ステップになってしまうが悩みだった。何しろ、ワルツは目を瞑っていても踊れるくらいのリード上手で、舞踏会に行けば、必ず十人以上の女性とワルツを踊っていたのだから、既に頭で踊っているのではなく、体で覚えて踊っているというのが正しい。それなのに、女性に戻ればすべては逆になる。だから、第一歩の方向が真逆になると収拾がつかなくなる。相手の足を踏むだけならまだいい方で、父との練習では、二人で転びかけたことも何度もある。まさか、アントニウス相手に転んで相手に馬乗りになるような破廉恥な間違いはおかせないので、さすがのアレクサンドラも真剣になる。そうすると、思わず握っていた手に力が入ってしまう。
「そんなに緊張しないでください」
 優しいアントニウスの言葉がアレクサンドラの耳に響いた。
「あなたは、か弱いレディなのですから。こういう時は、パートナーにすべてを預けるものです。あなたがアレクシスだった時、女性たちがそうしていたように、全てを私に・・・・・・」
 いつもとは違い、完璧なまでに紳士で優しいアントニウスの言葉に、アレクサンドラは少なからずアントニウスに対して持っていたイメージが自分の中で変わっていくのを感じた。
「ダンスでリードするのは男の役目。あなたがステップを気にしなくても、私があなたを導きます。広間であなたが無様なダンスしか披露できないとしたら、それはあなたのせいではなく、リードする相手のせいです。さあ、力を抜いて・・・・・・」
 アントニウスの言葉に、なぜかアレクサンドラの体から余分な力が抜けていった。すると、流れるようなアントニウスの動きに合わせ、何も考えなくてもステップを踏むことが出来るようになった。
「頭で考えるから、ステップを間違うのです」
 アレクサンドラとしては認めたくなかったが、アントニウスのリードは完璧で、まるでジャスティーヌになったかのように軽やかにダンスを踊ることができた。
 何曲目かのメヌエットの後、ふと扉の方に目をやると、驚いた顔で立ち尽くすジャスティーヌの姿が目に入った。
「すごいわ、アレク!」
 目が合ったジャスティーヌは、すかさず声をかけてきた。
「これは、これは、ジャスティーヌ嬢。ご機嫌麗しゅう」
 丁寧にお辞儀をするアントニウスに、ジャスティーヌも深々と頭を下げた。
「せっかくですから、一曲お相手をお願いしたいところですが、残念ながら、ジャスティーヌ嬢をダンスに誘ったなどと知れたら、ロベルトの逆鱗に触れてしまいますから」
 あっさりと、ジャスティーヌと踊る気がないことを表明した後、ふとアントニウスは考え込んだ。
「伯爵はご在宅でいらっしゃいますか?」
「はい。いまは、書斎に」
「もし、ご協力いただけるのであれば、コントルダンス、カドリールの練習などもいかがでしょうか?」
 アントニウスの言葉に、アレクサンドラとジャスティーヌは顔を見合わせた。
 確かに、最近の舞踏会ではコントルダンスやカドリールも多く、くるくる相手が変わるのでジャスティーヌは得意ではなかったが、アレクシスと踊れるというので、女性たちに人気のあるダンスではあった。
「その場合は、私はご遠慮させていただきます」
 悩むジャスティーヌの代わりにアレクサンドラが答えた。
「他の男性とは踊らない。確かに、私には嬉しい限りですが、それでよろしいのですか?」
 アレクサンドラにしてみれば、よろしいもよろしくないもない。万が一、悪友の誰かと踊ることになったりでもしたら、アレクシスだったとバレることを恐れてビクビクしなくてはならないし、これ以上秘密を知る人間が増えたら、冗談抜きで口封じにアレクシスに戻って決闘でも申し込み、相手を再起不能にするか、抹殺するほか伯爵家を守ることが出来なくなる。
「では、アレクサンドラ嬢のお気持ちはわかりましたので、ジャスティーヌ嬢、ダンスの練習に戻らせていただきます」
 アントニウスはお辞儀をすると、ピアニストに合図を送り、再びアレクサンドラの手を取ってワルツを踊り始めた。

☆☆☆

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