初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
「残念ながら、舞踏会にお供ともできるのは、ほんの一、二度になるでしょう。ですから、その間に、フランツから逃げる方法は、自分でお考え下さい」
 最後までアレクサンドラの心配ばかりするアントニウスに、アレクサンドラは更に困惑を深めた。
「私が一、二度エスコートし、我が物顔で振舞ったところで、国に帰ってしまえば、手も足も出ない。私が耳にしたところによれば、フランツはバルザック侯爵に働きかけて、あなたとの結婚話を進めようとしているようです」
「そんな・・・・・・」
 アレクサンドラにしてみれば、自分を見れば『出自が卑しい貧乏伯爵家の縁者が社交界で大きな顔をするな』だの、『貧乏伯爵家の娘でなければ、ジャスティーヌを嫁に貰ってやっても良い』などと、不遜な言葉を頻繁に口にしては自分と決闘にまで発展した犬猿の仲どころか、いっそ一思いに殺してしまいたいと、殺意さえ湧く相手だ。そんなフランツとダンスを踊るだの、結婚するだの、考えただけでも怖気が走る。
「本当は、あなたを国に連れて帰りたかった」
 アントニウスは静かに言った。
「私は馬鹿な男です。最初から、あなたに愛を囁けば良かったのに、つまらない事で時間をつぶしてしまった上に、あなたの心を深く傷つけてしまった」
「アントニウス様・・・・・・」
「聞いています。最近は、毎日のように教会に通っていらっしゃると」
「それは・・・・・・」
「その話を聞いて、私はあなたが私に脅されることに耐えられず、自ら命を絶とうとしているのだと気付いたのです。だから、あの晩、あなたに会いに伺ったのです。でも、あなたの頑なな心に、私の愛は届きはしなかった。あなたの心を貝のように閉ざしたのは、この私なのに」
 アントニウスは悲しげに言うと、ほんの少しアレクサンドラから視線を逸らした。
「きっと、社交界にデビューされれば、引く手あまたになります。何しろ、ジャスティーヌ嬢が王太子妃になるのは、ほぼ確実だと社交界でも噂されているくらいですから。そうしたら、瓜二つのあなたは、ジャスティーヌ嬢のハートを射止めようとしていた男たちにとっては、ジャスティーヌ嬢も同じ。すぐにあなたに想いを移すでしょう」
「私は、誰にも嫁ぎません」
 アレクサンドラの言葉に、アントニウスがアレクサンドラの事を見つめた。
「あなたも伯爵家の令嬢ならば、親の立場と言うものがあることを理解しているはずです」
 アントニウスは、ジャスティーヌが王太子妃に決定した後、一気に株の上がったアーチボルト伯爵家と縁戚関係になりたいと思う貴族たちのあの手この手の戦法に、いずれ『のらりくらりのルドルフ』も、国の安寧の為と追い詰められれば、アレクサンドラをどこかの有力貴族に嫁がせる必要が出てくるという事だった。いくら自由恋愛の国とはいえ、政略結婚が皆無なわけではない。必要に迫られれば、それぞれの家の事情で双方納得するしかないのが、いわゆる大人の世界の決まり事で、それはエイゼンシュタインだからと言って違いはない。
「私は、あなたのものです。そう、お約束しました。あなたが約束を破ってない以上、私も約束を守ります」
 アレクサンドラの言葉に、アントニウスの表情が曇った。
「この間言ったはずです。もう、ゲームは終わりです」
「でも・・・・・・」
「私は、墓まであなたの秘密を持って参ります。どんな拷問や、卑怯な罠にはめられたとしても、あなたの秘密は守るとお約束します。だから、あなたは、もはや誰のものでもない」
「でも、それでは・・・・・・」
 アレクサンドラは言い募ったが、アントニウスは頭を横に振った。
「愛しい方。きっと、私は国に帰ってもあなたの事を忘れることはできないでしょう」
 男装のアレクサンドラではなく、美しく着飾ったレディのアレクサンドラに言いたかったが、アントニウスはそのまま続けた。
「残念ながら、私は、あなたのハートを射止めることが出来なかった。でも、私はあきらめが悪いので、まだまだ、悪あがきはするつもりです。あなたが正式に誰か別の男性のものになるまで、決してあきらめはしません」
 アレクサンドラは返す言葉が見つからなかった。
「そんな薄着で。馬車でお屋敷まで送らせましょう」
「アントニウス様!」
「次にお目にかかるのは、社交界デビューの時ですね。覚悟してください。絶対にあなたの手を放しはしません。他の誰とも、あなたを踊らせはしない」
 アントニウスは言うと立ち上がり呼び鈴の紐を引いた。
 少しの後、『失礼致します』と一声かけて執事のミケーレが入ってきた。
「ミケーレ、アレクシスの乗馬の技を信頼していないわけではないのだが、やはり、私と早駆けをして落馬されたことが記憶に鮮明に残っていて、このままお返ししたくない。悪いが、急いで馬車を用意して、アーチボルト伯爵家までお送りしてくれ。それから、アレクシスの乗ってきた馬は馬蹄に送らせるようにしてくれ」
「かしこまりました。直ちに馬車の準備を致します」
 ミケーレは言うと、すぐにサロンから出て行った。
「アレクシス、申し訳ないが帰国の準備でバタバタしているので、私はこれで失礼させてもらう。馬車の準備はすぐに整うだろうから、しばらくここで待っていてくれたまえ」
 アレクサンドラに向き直って言うと、アントニウスは立ち上がった。
「突然の訪問に、お茶も出さないままで失礼した。では・・・・・・」
 アントニウスは優雅に一礼すると、アレクサンドラを置いてサロンから出て行った。
 アントニウスの言ったとおり、馬車の支度はすぐにでき、迎えに来たミケーレに案内され、アレクサンドラは公爵家の馬車で屋敷まで送ってもらうことになった。

☆☆☆

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