初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 アレクサンドラを無事屋敷まで送り届けたという知らせに、アントニウスは安心するとともに、あのような無防備な姿を他の誰にも見られずに済んで良かったと思った。
 今となっては、手の届かない高嶺の花となってしまったアレクサンドラだが、全ては自分が蒔いた種、自ら刈り取り、大人しく身を引くことこそ潔いと思うほかなかった。
 それでも、あの細い腰に誰かが腕を添え、あのスッと伸びた背に誰かが腕を回し、アレクサンドラとダンスを踊るかと思うと、アントニウスの胸は激しく痛んだ。
 社交界デビューを飾り、最初の数回の舞踏会は自分がしっかりと傍でアレクサンドラを守るつもりではあるが、今回の散財で激しく怒っている父を宥めるためには国に帰って事情を説明する必要があるし、国に帰れば、次いつエイゼンシュタインに来る許可を父から貰えるかもわからない。もしかしたら、次にアントニウスがエイゼンシュタインに来た時には、アレクサンドラは誰かと婚約、いや、結婚しているかもしれない。そう思うと、情けないと思いながらも瞳が潤み、涙が零れ落ちそうになった。
 他のどんな女性を見ても、アレクサンドラのように愛することはできないだろうと、アントニウスは思った。
 いままで、色々な浮名を流し、独身の女性だけではなく人妻とも関係を持ったことのあるアントニウスだったが、どんな時も男としての欲望が前面に現れ、相手を思いやる気持ちは後からしかついてこなかった。しかし、アレクサンドラを前にすると、常にアレクサンドラを思いやる気持ちが前面に現れ、自分が男であるという事をもっと現実的にアレクサンドラに感じてもらいたいと、思いながらも結局は抱きしめ、口付ける以上の事は出来なかった。
 それでも、ダンスの練習をした時の輝くばかりのアレクサンドラの笑み、無理に口づけをした時の困惑し、恐怖を抱いた瞳、どのアレクサンドラもアントニウスの中では何にも代え難い大切な思い出だった。
「私と言うのは、とことんバカな男だ。この世界で一番愛した女性を一番傷つけてしまった」
 声に出して言うと、その罪は何物にも代えがたく重いことだと言う実感が更に重くアントニウスにのしかかってきた。
 あれほど、初恋の相手のジャスティーヌの事で心を悩ませ、ドギマギしていたロベルトを散々からかってきたアントニウスだったが、もしかしたら、アレクサンドラこそが、アントニウスにとっての初恋にして、初めて愛した女性ではないのかという気がしてきた。
「これでは、ロベルトの事を笑えないな・・・・・・」
 自嘲気味にアントニウスが呟いたところへ、執事のミケーレがやってきた。
「ロベルト様、奥様がこちらにお見えになられるそうでございます」
 静かに告げられた言葉に、アントニウスは驚いて目を見張った。
 アレクサンドラとの別れの一時を静かに過ごそうと思っていたアントニウスにとって、母の登場は想定外だった。
「そんなこと、なにも手紙には・・・・・・」
「ただ今、奥様の荷物が届きまして、奥様は直接、国王陛下にご挨拶に向かわれたとのことでございます」
 ミケーレの言葉に、アントニウスは大きなため息をついた。
 実際、アントニウスがアレクサンドラの為に投じた資金は、現金で渡したわけではなく、あちらの店、こちらの店でありとあらゆる身の回りの品をオーダーしたわけで、それらすべての請求書は最終的には公爵家の資産を管理する会計士のところを通ることになるわけで、いざとなれば何に幾ら費やしているかを父が知ることもできる。つまり、女性ものの下着からドレス、身の回りの物をすべて用意しているという事は、エイゼンシュタインの屋敷にアントニウスが女性を囲っていると父に疑われても仕方のない状況だった。だとすれば、このタイミングで母がエイゼンシュタインにやってきたのは、事の真偽を確かめるためと言うことになる。
 もちろん、最初から現金を渡すという手もあったのだが、そういう援助のしかたをアーチボルト伯爵夫妻が好まないだろうことは、あの夫人の恥じらう様子からわかっていたので、アントニウスは敢えてすべてを自分で手配することにしたのだが、女性を囲っている疑いをかけられたとなると、母の追及をかわすのも非常に困難なうえ、まだ塞がってもいない失恋の傷口を深く何度もえぐられることは想像に難くなかった。
「はあ、なんで母上が・・・・・・」
 アントニウスはため息をつくと『体調が悪いと伝えてくれ』と言い残し、自室に引きさがることにした。

☆☆☆

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