初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
ヴァシリキと連絡官三名を伴ったアントニウスは、指定された陸軍歩兵部隊第三師団第九連隊が出征準備をしている宿舎へと向かった。
第九連隊の隊長は、アントニウスもよく知っている、ペレス大佐が務めていた。ペレス大佐は、アントニウスが軍に入った時の新兵指導官を務めており、屋敷を出て一時的とはいえ、陸軍宿舎での生活をしていた間、寮長としてアントニウス達と寝食を共にしてくれた上官だった。
入隊後、ろくな訓練にも参加せず、大公より大尉の階級を与えられたアントニウスのような貴族の子弟たちの世話係を命じられたペレスは当時少佐だったが、大公の憶えのめでたい者のみが任命される新兵指導官を任じられたことをとても光栄に思っており、大公の近しい親族であるアントニウスは伯父のように慕っている大公からペレスの事は聞かされていたので、すぐに良好な関係を築くことができた。そして、アントニウス達の指導係を務めた後、ペレスは間もなく中尉となり、アントニウスがエイゼンシュタインで軍での任務を怠っている間に、大佐に昇進していた。
「アントニウス! エイゼンシュタインからもどったのか! ああ、そういえば、公爵家嫡男殿と呼ばなくても、ファーレンハイト伯爵と呼べるようになったんだったな」
宿舎内のペレスの部屋を訪ねると、ペレスはアントニウスを歓迎してくれた。
「ええ、母が説得して、やっと父も許してくれました」
アントニウスの言葉に、ペレスは少し首をかしげて見せた。
「タイミングかもしれないな。伯爵家以下、軍に籍を追いている各爵家の当主と嫡男のほとんどが既に戦地赴いている。今月になり、公侯爵家も出征のために軍籍の方々が国に戻られている。そのせいもあって、公爵は君の爵位継承を認められたのかもしれない」
今までにない戦況の悪化と、いつ公式に開戦してもおかしくない状況に、アントニウスは沈んでいく気持ちを維持するのが難しくなっていた。
「明日の朝、出発すると聞きました」
「ああ、基本的にみなここで寝起きして出発と思っているが、さすがに君は屋敷に戻ってもかまわない。お屋敷には、私よりも怖い御父上がいらっしゃるから、明日の出兵に間に合わないということはなかろう」
ペレスの言葉に、アントニウスは苦笑した。
これからの生活環境を考えれば、馬車で揺られに揺られた体をゆっくりと休めたいという欲求もあったが、既に荷物を取りに行かせてしまったので、最後の夜を宿舎で過ごす旨をペレスに伝えた。
「そうか。ああ、君の愛馬だが、既に公爵がこちらの厩舎に移動させられたから、君は歩兵と並んで歩く必要はないから、安心したまえ」
ペレスは言うと、笑って見せた。
「そうでしたか。屋敷に戻るなり、すぐに出頭せよと命じられて、厩舎に足も運ばず、馬車で宮殿まで来てしまいましたので・・・・・・」
アントニウスは言うと、頭を掻いた。
正直、屋敷を出る時も、馬車の中でさえ、アントニウスの心にはアレクサンドラの事しかなかった。いずれ、開戦の知らせが伝われば、離れていてもエイゼンシュタインでも援軍のための物資の輸送などで国があれることは目に見えていた。何もかもが便乗して値上げされたら、アーチボルト伯爵家の家計は苦しくなるかもしれない。アレクサンドラは家族のためにもしかしたら、金持ちの平民に嫁ぐことを考えるかもしれないなど、いろいろな考えがアントニウスの頭の中を巡り、別れの時の憂いを帯びたアレクサンドラの瞳がよみがえる度に、アントニウスは自分が心からアレクサンドラだけを愛していることを思い知らされるだけだった。
「別れの夜を共にする相手はいないのか?」
ペレスの言葉に、アントニウスはドキリとして、まざまざと脳裏によみがえるいつかの晩のアレクサンドラの白い項に、ごくりと唾を飲み込んだ。
「想い人は、エイゼンシュタインにおります」
嘘ではないので、アントニウスははっきりと自分には意中の相手がいることを表明した。
「何人だ?」
からかうようなペレスの言葉に、『一人だけです』とアントニウスが答えると、ペレスは手に持っていたペンをポトリと落とした。
「一人? それが、あのアントニウスの言葉か?」
「本当の愛を知れば、他の誰も目に入らないことを自ら学びました」
「・・・・・・・・」
あまりの事にペレスは絶句したまま、手探りでペンを拾い上げた。
「それでは、大公女との政略結婚も破綻するわけだ」
ペレスは納得したように言うと、笑って見せた。
「明日は、隊長も騎乗でいらっしゃいますか?」
陸軍歩兵師団ということもあり、アントニウスは念のために問いかけた。理由は、伯爵以上の爵位を持っていれば、階級と所属に関係なく騎乗しての出征が許されるが、ペレスは大公の憶えがめでたく、若くして大佐にまで出世したが、出身は子爵家の五男、階級によってはアントニウスのような公爵家の嫡男と同じ隊に所属すると騎乗での出征が許されない場合もある。ペレスの場合は大佐なので、当然騎乗しての出征が許されるが、逆に大佐であれれば騎乗ではなく、遠征用の馬車の利用が可能になる。これが、もしも同じ大佐であったなら、隊長のペレスが騎乗し、アントニウスが馬車に乗るという、厳正なる階級社会である軍の中に、身分制度が割り込むという、軍としては不自然な光景になる。
「安心しろ。大佐に出世し、馬にもよく乗れるようになったから、馬を引いて歩くような無様な出征はしない」
乗馬があまり得意でなかったペレスは、苦笑いを浮かべながら言った。
「では、明日。失礼いたします」
「ゆっくり休むように。但し、無断外出と寝坊は禁止だ」
かつての世話係の口調で言うと、ペレスは笑顔でアントニウスを送り出してくれた。
あてがわれた狭い個室の堅いベッドに横になると、アントニウスはアレクサンドラに想いを馳せながら、眠りに落ちていった。
☆☆☆
第九連隊の隊長は、アントニウスもよく知っている、ペレス大佐が務めていた。ペレス大佐は、アントニウスが軍に入った時の新兵指導官を務めており、屋敷を出て一時的とはいえ、陸軍宿舎での生活をしていた間、寮長としてアントニウス達と寝食を共にしてくれた上官だった。
入隊後、ろくな訓練にも参加せず、大公より大尉の階級を与えられたアントニウスのような貴族の子弟たちの世話係を命じられたペレスは当時少佐だったが、大公の憶えのめでたい者のみが任命される新兵指導官を任じられたことをとても光栄に思っており、大公の近しい親族であるアントニウスは伯父のように慕っている大公からペレスの事は聞かされていたので、すぐに良好な関係を築くことができた。そして、アントニウス達の指導係を務めた後、ペレスは間もなく中尉となり、アントニウスがエイゼンシュタインで軍での任務を怠っている間に、大佐に昇進していた。
「アントニウス! エイゼンシュタインからもどったのか! ああ、そういえば、公爵家嫡男殿と呼ばなくても、ファーレンハイト伯爵と呼べるようになったんだったな」
宿舎内のペレスの部屋を訪ねると、ペレスはアントニウスを歓迎してくれた。
「ええ、母が説得して、やっと父も許してくれました」
アントニウスの言葉に、ペレスは少し首をかしげて見せた。
「タイミングかもしれないな。伯爵家以下、軍に籍を追いている各爵家の当主と嫡男のほとんどが既に戦地赴いている。今月になり、公侯爵家も出征のために軍籍の方々が国に戻られている。そのせいもあって、公爵は君の爵位継承を認められたのかもしれない」
今までにない戦況の悪化と、いつ公式に開戦してもおかしくない状況に、アントニウスは沈んでいく気持ちを維持するのが難しくなっていた。
「明日の朝、出発すると聞きました」
「ああ、基本的にみなここで寝起きして出発と思っているが、さすがに君は屋敷に戻ってもかまわない。お屋敷には、私よりも怖い御父上がいらっしゃるから、明日の出兵に間に合わないということはなかろう」
ペレスの言葉に、アントニウスは苦笑した。
これからの生活環境を考えれば、馬車で揺られに揺られた体をゆっくりと休めたいという欲求もあったが、既に荷物を取りに行かせてしまったので、最後の夜を宿舎で過ごす旨をペレスに伝えた。
「そうか。ああ、君の愛馬だが、既に公爵がこちらの厩舎に移動させられたから、君は歩兵と並んで歩く必要はないから、安心したまえ」
ペレスは言うと、笑って見せた。
「そうでしたか。屋敷に戻るなり、すぐに出頭せよと命じられて、厩舎に足も運ばず、馬車で宮殿まで来てしまいましたので・・・・・・」
アントニウスは言うと、頭を掻いた。
正直、屋敷を出る時も、馬車の中でさえ、アントニウスの心にはアレクサンドラの事しかなかった。いずれ、開戦の知らせが伝われば、離れていてもエイゼンシュタインでも援軍のための物資の輸送などで国があれることは目に見えていた。何もかもが便乗して値上げされたら、アーチボルト伯爵家の家計は苦しくなるかもしれない。アレクサンドラは家族のためにもしかしたら、金持ちの平民に嫁ぐことを考えるかもしれないなど、いろいろな考えがアントニウスの頭の中を巡り、別れの時の憂いを帯びたアレクサンドラの瞳がよみがえる度に、アントニウスは自分が心からアレクサンドラだけを愛していることを思い知らされるだけだった。
「別れの夜を共にする相手はいないのか?」
ペレスの言葉に、アントニウスはドキリとして、まざまざと脳裏によみがえるいつかの晩のアレクサンドラの白い項に、ごくりと唾を飲み込んだ。
「想い人は、エイゼンシュタインにおります」
嘘ではないので、アントニウスははっきりと自分には意中の相手がいることを表明した。
「何人だ?」
からかうようなペレスの言葉に、『一人だけです』とアントニウスが答えると、ペレスは手に持っていたペンをポトリと落とした。
「一人? それが、あのアントニウスの言葉か?」
「本当の愛を知れば、他の誰も目に入らないことを自ら学びました」
「・・・・・・・・」
あまりの事にペレスは絶句したまま、手探りでペンを拾い上げた。
「それでは、大公女との政略結婚も破綻するわけだ」
ペレスは納得したように言うと、笑って見せた。
「明日は、隊長も騎乗でいらっしゃいますか?」
陸軍歩兵師団ということもあり、アントニウスは念のために問いかけた。理由は、伯爵以上の爵位を持っていれば、階級と所属に関係なく騎乗しての出征が許されるが、ペレスは大公の憶えがめでたく、若くして大佐にまで出世したが、出身は子爵家の五男、階級によってはアントニウスのような公爵家の嫡男と同じ隊に所属すると騎乗での出征が許されない場合もある。ペレスの場合は大佐なので、当然騎乗しての出征が許されるが、逆に大佐であれれば騎乗ではなく、遠征用の馬車の利用が可能になる。これが、もしも同じ大佐であったなら、隊長のペレスが騎乗し、アントニウスが馬車に乗るという、厳正なる階級社会である軍の中に、身分制度が割り込むという、軍としては不自然な光景になる。
「安心しろ。大佐に出世し、馬にもよく乗れるようになったから、馬を引いて歩くような無様な出征はしない」
乗馬があまり得意でなかったペレスは、苦笑いを浮かべながら言った。
「では、明日。失礼いたします」
「ゆっくり休むように。但し、無断外出と寝坊は禁止だ」
かつての世話係の口調で言うと、ペレスは笑顔でアントニウスを送り出してくれた。
あてがわれた狭い個室の堅いベッドに横になると、アントニウスはアレクサンドラに想いを馳せながら、眠りに落ちていった。
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