初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 王太子の勅命という使者を迎えたアーチボルト伯爵邸は、使者の『ジャスティーヌ嬢に直接お渡しするようにとの殿下のご命令』という言葉に、使者をサロンに通すと急いでジャスティーヌの支度をさせた。
 使者とはいえ、王太子の勅命を拝した使者の前に普段着で出ることはできないので、ジャスティーヌはロベルトとの見合いで着る予定だったドレスを着て使者を迎えた。
「大変お待たせいたしました」
 ジャスティーヌは階段を駆け下りて来たのが使者にわからないように、必死に呼吸を整えて言った。
 深々と頭を下げたジャスティーヌの後ろにジャスティーヌ付きのメイドが控えているのを見た使者は、ジャスティーヌだけでなくメイドに聞こえるように『お人払いを』といった。
 未婚の娘と使者を二人きりにすることに、ライラは困惑の表情を浮かべたが、ジャスティーヌは聞き覚えのある声に首を傾げた。
「王太子殿下から口伝での伝言ゆえ、お人払いをお願いいたします」
 使者がライラの疑問を打ち砕くように言うと、ライラは仕方なく深々と一礼してサロンから出ていった。
 しかし、ジャスティーヌはその使者の声にドキリとして使者の事を見つめた。
 サロンの扉が閉まる音がし、ライラが出ていったのを確認すると、俯き加減だった使者は帽子を取り、頭を軽く振って髪を整えた。
 近衛の制服に身を包んだロベルトの姿に、ジャスティーヌは驚いて声を上げそうになったが、ロベルトが慌ててジャスティーヌを抱きし寄せ口を軽く手で押さえた。
「声をあげないで・・・・・・」
 ロベルトはジャスティーヌの耳元で囁いた。
「こうでもしないと、愛しい人、あなたをこの腕で抱くことができないから・・・・・・」
 一瞬、抵抗しようとしたジャスティーヌは、ロベルトの言葉に抵抗をやめた。
 ジャスティーヌ自身、愛しいロベルトの腕に抱かれ、その温もりに包まれると、ずっと心の中で抑えつけていたロベルトへの想いが解き放たれて行った。
「殿下・・・・・・」
「二人の時は、ロベルトと呼んでくれる約束したのを忘れたのですか?」
「・・・・・・ロベルト・・・・殿下・・・・・・」
「ジャスティーヌ・・・・・・」
 ロベルトはジャスティーヌの名を呼ぶと、ジャスティーヌをしっかりと抱きしめなおした。
「間違いない、あなたの温もりだ・・・・・・」
 ロベルトはしみじみと言うと、恥じらいで俯くジャスティーヌの頤を持ち上げて上を向かせた。
「ジャスティーヌ、どうか心変わりしたのなら、そうはっきりと言ってください。そうでないのなら、なぜ私を避けるのですか? あなたに嫌われるようなことをしたのなら、どうか教えてください。あなたの愛を取り戻すためなら、どのような努力も惜しみません」
 ロベルトは真摯に問いかけた。
「・・・・・・殿下は、殿下は何も悪くございません」
「ロベルトです」
 ロベルトはジャスティーヌの『殿下』という言葉を正した。
「私は、ただ妹の事が、アレクサンドラの事が心配なだけなのです。王家の皆様のお気持ちを私が害したら、どのような仕打ちを妹が受けるのかと。もし、妹がアントニウス様とのお話をお断りしたら、どのような仕打ちを受けるのかと。それを考えたら、殿下とのお話をお受けすることが怖くなってしまったのです」
 瞳を潤ませて言うジャスティーヌに、ロベルトは胸を締め付けられるような苦しみを感じた。
「王太子として約束する。あなたにも、あなたの家族にも、決してどのような事が起こったとしても、今回のようなことがないようにすると、私の名に懸けて約束します。だから、どうか私の事を名前で呼んでください。ここには、私たち二人しかいないはず・・・・・・」
 真剣なロベルトのまなざしに、ジャスティーヌは鼓動が早くなっていくのを感じた。
「ジャスティーヌ、私はあなたを愛しています。あなたの他には、誰も欲しくはありません」
「ロベルト・・・・・・」
 ジャスティーヌが自分の名を呼んでくれたことにロベルトは踊り出しそうなくらいの高揚を覚え、ジャスティーヌの唇に自分の唇を重ねた。
 優しく甘い口づけは、段々に深くなっていった。
 甘い世界に浸っていた二人には聞こえていなかったが、帰宅したルドルフの『ジャスティーヌと使者を二人きりにしただと! この非常識者! ジャスティーヌの立場を忘れたのか?』という怒号が廊下に響き、サロンの扉がけ破られるようにして開けられた。
 それでも二人の世界に浸りきっていたジャスティーヌとロベルトは、ルドルフの登場にも気付かず、しっかりと抱き合ったまま口づけをかわしていた。
「この無礼者、娘から離れろ!」
 ルドルフが肩を掴み、勅命を受けたという大尉をジャスティーヌから引き離そうとした途端、ルドルフは大尉の制服を着ているのがロベルトだと気付いた。
「殿下!?」
 大尉と娘とのキスシーンも衝撃的だったが、王太子と娘のキスシーンもルドルフにとっては悩みの種が増えただけだった。
「殿下、申し訳ございませんでした。恐れ入りますが、娘から離れていただけますでしょうか?」
 ルドルフは一歩下がってロベルトに声をかけた。
 やっとルドルフの言葉が耳に入ったロベルトは、ゆっくりと腕を緩めジャスティーヌから体を離した。
「殿下、お召しになられていらっしゃるのは、ハインリヒ・ブルヴィッツ殿の制服とお見受けいたします。哀れな服の持ち主、ハインリヒ・ブルヴィッツ殿はどちらに置いていらしたのでいらっしゃいますか?」
 ルドルフは静かに問いかけた。
 ロベルトと口づけているところを父に見られたジャスティーヌは、父にふしだらな娘だと思われたのではないかと、真っ青な顔をしてロベルトの後ろに控えていた。
「ルドルフ。これは私が独断で行ったこと。愛するジャスティーヌに会うことが目的。それ以上に及ぶ気はなかった。しかし、あまりに長く冷たい仕打ちを受けたため、つい強引な手に出てしまったが、ジャスティーヌには何の咎もない。私はおとなしく、ブルヴィッツ大尉のフリをして屋敷を去るゆえ、ジャスティーヌを咎めないと誓ってくれ」
 ロベルトの言葉に、ルドルフは仕方なく頷いた。
「殿下に求められ、断ることのできる娘など、この国にはおりませんでしょう」
 ルドルフは言いながら、心の中で『アレクサンドラ以外には』と付け加えた。
「では、お暇しよう」
 ロベルトはジャスティーヌに微笑みかけると、来た時のように目深に帽子をかぶり、自分が王太子だと知られぬように、俯き加減で声を落とし、去辞を述べ屋敷の玄関へと歩いて行った。

 ロベルトを見送ったジャスティーヌにルドルフは、事の真意を確かめるかのように話しかけた。
「見ての通り、ロベルト殿下は見合いの結果を公にしようとなさっている。これでも、まだ見合いはなかったことに、殿下との結婚は辞退すると、そう言うのか?」
 父の言葉に、ジャスティーヌは少し俯いて頭を横に振った。
「私は、アレクを残して嫁ぎたくはありません。ですが、どうしてもと陛下がおっしゃられるのであれば、私は、お約束に従います」
 ジャスティーヌは言うと、父の返事を待った。
「わかった。お前は部屋に戻りなさい。屋敷には新しいメイドも多い。今回の事が、間違って外に漏れてはいけない。お前は何もなかったように、殿下のお言葉を聞いただけという顔をして部屋に戻りなさい」
 ジャスティーヌは『はい、お父様』と返事をしてから自室に戻り、ルドルフは大きなため息をつきながら書斎へと戻っていった。

☆☆☆

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