初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 薄暗い壕の中で薄い板の天井を叩く雨の音を聞きながら、アントニウスは軍支給の組み立て式のベッドに身を横たえた。
 律儀なもので、悪天候になれば戦闘は一時中断になるし、基本は夜明けから日没までのお約束だが、あくまでもそれは紳士同盟。戦う相手が紳士ではなく、ポレモスの蛮族となれば、夜間の奇襲も悪天候時の奇襲も考えられるので、見張りの数は決して減らすことはできない。
 互いに、相手の大砲の射程距離に入らないぎりぎりのところにモグラよろしく深い壕を掘り、地面に板を敷くようにして屋根を作り、士官はそれぞれ与えられた士官宿舎に従卒と共に寝起きする。とうぜん、一日人の背丈よりも深い壕が掘れるはずもなく、両軍ともに先鋒は壕を掘り進めながら、少しでも有利な場所に自軍の大砲を設置し、可能な限り相手の壕に大砲の弾を打ち込み、一人でも多くの兵を減らしたいと、日夜作戦を立ててはそれを実行に移している。
 同時に三ヶ所で開戦したこともあり、同盟国からの支援のないポレモスの戦況は日増しに不利になっては来ている。しかし、彼らが蛮族と呼ばれる所以は特攻だ。
 大砲の弾が飛び交う中、一団の兵士たちが決死の特効を繰り返してくる。こちらの陣地内に入れば、すぐに雨霰と銃弾を浴びるのがわかっているのに、彼らには躊躇はなく、そしてこちらの壕の近くで自らが自爆する。そのせいで、イルデランザ軍も予想外の被害が出しているし、そんな蛮族相手だから、日没後も悪天候の日も、心休まるときはない。そんな戦闘が一月も続けば、どちらも神経がすり減り、士気も下がってくるはずなのに、一向にポレモス側の士気が下がっていない気がして、アントニウスは次の作戦を考えあぐねていた。
 事実、ポレモスが定期的に特攻を行っている限り、イルデランザは鉄壁の防御を築けばいい。特攻に参加した兵士は生きて陣営に戻ることはない。つまり、特攻部隊を展開すればするほど、ポレモスの戦力は削がれていく。戦争というものは、ある意味消耗戦。男性がいなくなれば、いずれ女子供も兵士になるかもしれないが、いずれ、戦えるものがいなくなれば国は廃れ、戦争は終わる。隣国と戦争を繰り返し同盟国のないポレモスとは違い、イルデランザには同盟国がついている。持久戦になれば、負けることはない。
 しかし、イルデランザがポレモスに宣戦布告したのは、自国の安全を守りたいからだけで、たとえ蛮族と呼んでいたとしても、決してポレモス人を全滅させたいわけではない。そのためには、戦力となりえない子女が戦闘に巻き込まれる前に、前線をポレモス側に押し込み、圧倒的な武力差がある事を証明しなくてはいけない。
 しとしとと降り続く雨による湿気は、大砲の火力を鈍らせる。だから、本当ならば、こういう日にこそ、前線を進めなくてはいけないのかもしれないと思いながら、アントニウスは今にも雨水が染みて雨漏りを起こしそうな板天井を見つめるのをやめて目を閉じた。

(・・・・・・・・いまごろ、アレクサンドラは何をしているだろうか・・・・・・・・)

 いつでも目を閉じれば、浮かぶのは愛しいアレクサンドラの姿だった。しかし、アントニウスの中にある罪悪感からなのか、最後に逢ったあの日の悲し気なアレクサンドラの姿しかアントニウスには思い浮かべることができなかった。
 もちろん、記憶の中には楽しかった舞踏会、ダンスの練習、色々な思い出が詰まっているが、なぜか思い浮かべられるのは、寂しげで、悲しげで、儚げなアレクサンドラの姿だけだった。
 あの日の約束通り、毎日、必ず手紙は書いていた。しかし、最前線からの手紙の発送は良くても週に一度、これは、士気を下げないために、軍が隊員と家族との間のパイプを太いままで保とうとする作戦の一つに過ぎない。アントニウスがアレクサンドラに宛てて書く手紙の場合、戦時ということもあり、毎週回収はされているが、エイゼンシュタインに届いているのかも不明だった。
 当然、同盟国宛て、しかも、公爵家の嫡男であり、現在はファーレンハイト伯爵であるアントニウスの手紙を検閲できるのは、父の公爵か大公、もしくは、皇嗣しかいないが、戦時の特別措置として、手紙を発送しないまま、軍部に留め置かれている可能性もある。そうアントニウスが考えるようになったのは、この一月、一通もアレクサンドラから手紙が届かないからだった。
「返事を書きたくなるような内容の手紙じゃないか・・・・・・」
 思わずアントニウスが呟くと、すぐにヴァシリキがアントニウスのそばに歩み寄ってきた。
「失礼いたしました、大尉。いまのご命令をもう一度伺えますでしょうか?」
 申し訳なさそうに言うヴァシリキに、アントニウスは頭を横に振って見せた。
「なんでもない。今日は、お前も休め。さっきそう言ったはずだ」
「ですが・・・・・・」
「休め。命令だ」
「かしこまりました」
 ヴァシリキは敬礼すると、入り口近くの自分のデスクへと戻っていった。

☆☆☆

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