初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 良く晴れた日の午後、王宮からの仰々しいほどの使者が訪れ、アーチボルト伯爵家の淑女達は久しぶりに一張羅のドレスを引っ張り出し、ホーエンバウム公爵夫人主催の夜会に出席する仕度をしていた。
 当事者ではないアレクサンドラにしてみれば、バルザック侯爵家のフランツに迫られるのも面倒なので、自宅で留守番をしたいと言っては見たものの、母の鋭い眼差しと父の『これが終わったら好きにさせてやる』と言わんばかりの瞳に負け、アントニウスが仕立ててくれて、まだ袖を通していなかったドレスを眺めた。
 いっそ、一番似合わないものを着ようと思ったものの、ドレスを選んだのがアントニウスだけあり、似合わないドレスなど一着もないというのが事実だった。仕方がないので、嫌がるライラに無理を言い、ジャスティーヌのお古を引っ張り出してきて貰い袖を通そうとしたところで、様子を見に来た母のアリシアに見咎められ、ジャスティーヌのドレスを借りることを断念した。
「なぜ、あなたは!」
 母の言葉を聞いていると、まるでアレクサンドラがレジスタンス行為をしているかのように言われるので、仕方なくアレクサンドラは母の指定する無難に可愛いドレスに袖を通した。唯一の救いは、出来上がったまま着ているところをアントニウスが見ていない新品のドレスではなく、一度、袖を通したことのあるドレスだったことだった。
 ジャスティーヌの支度が済むと、ライラは手慣れた様子でアレクサンドラを立派なレディに仕上げていった。


 アーチボルト伯爵家の一行の到着の声がかかると、ホーエンバウム公爵夫人がわざわざ入り口まで出迎えに姿を現した。
 既に、広間からは賑やかな話声と音楽が聞こえてきていたが、まだ始まったばかりでダンスを踊るカップルの姿はなかった。
 ジャスティーヌとロベルトに最初のダンスをと計画されているのか、流れている音楽は夜会にしては珍しい、ダンスにふさわしくない、フルートとハープの二重奏のような、静かで落ち着いた音楽だった。
 次々に到着する貴族たちの名が紹介され、ついに王太子ロベルトの到着の声がかかると、にぎやかだった広間が一瞬にして静かになり、誰もがロベルトの到着を待って入り口の方を向いた。
 出迎えたホーエンバウム公爵夫人にお礼を言うと、ロベルトはまっすぐにジャスティーヌに向かって広間を横切った。
 その場にいる誰の目にも、ロベルトがジャスティーヌの元へ向かっていることは明らかで、すぐに音楽がワルツに変わっても、誰もダンスを踊ろうとはしなかった。
 皆がロベルトの動向を窺う中、ロベルトはアーチボルト伯爵と言葉を二言三言交わしてから、ジャスティーヌの方に向き直った。

「ジャスティーヌ、本当は、あなたの名を冠したバラの花をこの手で送りたかったのに、運命の悪戯で、花の美しい時期を過ぎてしまいました」
 忍んでまで会いに来てくれたロベルトの気持ちは、ジャスティーヌにきちんと届いていた。
「レディ・ジャスティーヌ。どうか、私の気持ちを受け取ってください」
 人々が見守る中、ロベルトに差し出されたバラの色は約束の赤だった。
「殿下、ありがとうございます」
 まるで、庭から手折ってきたかのような生き生きとした一輪のバラを愛おしそうにジャスティーヌが受け取ると、広間のあちこちから拍手が沸き起こり、やがてそれは盛大な祝福の拍手へと変わっていった。
「持っていては、踊れませんね」
 ロベルトは言うと、ジャスティーヌの手からバラの花を取り、ジャスティーヌの結い上げた髪にバラの花を挿して飾った。
「これで、あなたは私の正式な婚約者です。もう、誰にも奪わせたりはしませんよ」
 ロベルトは言いながら手を引き、ジャスティーヌを広間の中央へと導いた。
 見つめあう二人のダンスは、どんな恋人たちも羨むほど美しく、幸せにあふれていた。
 愛し合い、惹かれあう二人の姿は眩い程で、アレクサンドラは眩しさと同時に、今この瞬間に自分の隣にアントニウスがいないことが心細く、まるでジャスティーヌ達の発する温かい光とは裏腹に、寒い影の中に一人で取り残されているような寂しさを感じた。
 やっとジャスティーヌが納まるところにおさまり、安心した表情を浮かべる両親に、いつまでも心配をかけ続けるであろう自分が恨めしく、呪わしくアレクサンドラは思った。

(・・・・・・・・ジャスティーヌがこうして幸せになるのに、私は、お父様にも、お母様にも迷惑をかけるばかり・・・・・・。そして、アントニウス様にも・・・・・・・・)

 アントニウスの事を考えた瞬間、アレクサンドラは胸を貫くような激しい痛みを感じ、思わずよろめいた。
 そんなアレクサンドラを優しく支えてくれたのはアントニウスでも、父でもなく、アレクシスの親友でもあったピエートルだった。
「大丈夫ですか、レディ・アーチボルト」
 男爵家の嫡男であるピエートルが、正式に紹介されていないアレクサンドラの事を名前で呼ぶのは失礼にあたるから、レディ・アーチボルトと呼ばれるのは当然の事だったが、かつては肩を組み、グラスを酌み交わした親友に改まってレディ・アーチボルトと呼ばれると、二人の間に大きく深い溝ができてしまったようにアレクサンドラは感じた。
「あ、ありかがとうございます」
 アレクサンドラがお礼を言うと、ピエートルは紳士の礼をとった。
「お初にお目にかかります。私は、バウムガルト男爵家嫡男、ピエートル・アッヘンバッハと申します。以後、お見知りおきを・・・・・・」
 他人行儀な正式な挨拶に、アレクサンドラは寂しさを感じながらも、笑顔を浮かべてお礼を言った。
「ありがとうございます、ピエートル」
 思わず名前を呼び返してしまうと、ピエートルがポッと赤面した。
「お名前は、よくアレクシスから聞いておりましたので、つい、以前からのお知り合いのような気がして、大変失礼いたしました」
 慌ててフォローを入れると、ピエートルは納得したように頷いた。
 親しい男女の間であれば、名前で呼び合うことは不自然ではないが、アレクサンドラとピエートルのように初対面で女性の方から相手を名前で呼ぶのは不躾であるし、ある意味、相手に好意を抱いていると思われても仕方がない状況だった。そのため、アレクサンドラとしては、アレクシスの名を出し、初対面とは思えない、親近感を持っていると伝えてアレクサンドラがピエートルに対して好意を持っているというような誤解が広がらないようにする必要があった。
「それは、とても光栄です。ぜひ、一度、お話をさせて戴きたいと、こうしてお近くに控えておりました甲斐がございました」
 嬉しそうにピエートルは言うと、アレクサンドラには見せたことのない清々しいほどの笑みを見せた。
 その笑みから、言葉のあやではなく、ピエートルもアレクサンドラ狙いであると、アレクサンドラは感じた。思えば、アレクシスだったアレクサンドラの周りにいたのは、ある意味ジャスティーヌに憧れを抱いている面々が多く、そういう意味では、ジャスティーヌの結婚が決まった今、やはりターゲットをアレクサンドラに移動するしかないというのが現実なのだとアレクサンドラは理解した。
 しかし、そうとなれば、過去の親友とはいえ、油断することはできない。
「もし、よろしければ、一曲・・・・・・」
 アレクサンドラの警戒心を煽る様に、ピエートルがダンスを申し込んで来た。
「申し訳ございません。今日は、姉の晴れ舞台なので出席させて抱きましたが、あまり加減が良くないので、ダンスはちょっと・・・・・・」
 アレクサンドラが言うと、ピエートルは確かにそうだといった表情で頷いた。
「気付かず、大変失礼を致しました」
 ジャスティーヌが王太子妃となる日も近く、それを考えると男爵家の嫡男がアレクサンドラと釣り合うはずもないと、ピエートルの顔には書いてあった。
 本当ならば、ピエートルに家柄などは問題ではないと言いたいアレクサンドラだったが、アントニウスに身も心も捧げると誓った身では、下手にピエートルに期待を抱かせるようなことは言えなかった。
 それでも、何か優しい言葉をピエートルにかけてあげたいと思ってたところに、別の声が割って入った。
「身分をわきまえたらどうだ? いずれは王太子殿下の義理の妹になられる肩を相手に、たかが男爵家の嫡男が何を期待しているのだ?」
 この人を人とも思わない、階級至上主義の声は振り向いて確認するまでもない、フランツの物だった。
「ふ、フランツ・・・・・・。私はただ、お話をしていただけだ」
 ピエートルは言うと、アレクサンドラの背後から近づいてくるフランツに睨みをきかせた。
「これは、これは、アレクサンドラ嬢、ピエートルのような身分の低いものでは、ろくな話題もなく、退屈なさったことでしょう」
 厭味ったらしいフランツの言葉に、アレクサンドラは振り向かずに答えた。
「そんなことはございませんわ。アレクシスの話題で盛り上がっておりましたの」
 『アレクシス』という名に、フランツは露骨にわかるほど嫌そうな気配を放った。それは、アレクシスの事が気に入らないだけではなく、アレクシスが自分の悪口しかアレクサンドラに吹き込んでいないだろうという意味を纏っていた。
「確かに、貴族でもないアレクシスであれば、平民に近いピエートルとは話題に事欠かなかったでしょう。何しろ、近隣の国では、貧しい貴族が豊かな平民と婚姻関係を結ぶこともまれではないと聞きますからな。まあ、わが国では、そのような事はありえませんが・・・・・・」
 いつ聞いても嫌味ばかりのフランツに、アレクサンドラはため息をつきそうになりながら、アレクシスだった時の様に追い払うこともできないレディの身を憂いた。
 仕方なく、アレクサンドラが振り向いて何か返事をと思っていたところで音楽が止まり、ジャスティーヌとロベルトがアーチボルト伯爵の元へと歩み寄ってきた。
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