初恋の君に真紅の薔薇の花束を・・・
 アレクサンドラが広間に戻ると、両親とジャスティーヌ、それにロベルトがホーエンバウム公爵夫人と談笑していた。
 家族の姿を見た瞬間、安堵からかアレクサンドラは眩暈を覚えた。
 慌ててアレクサンドラを抱きとめてくれたのは、ピエートルだった。
「ありがとうございます」
「いいえ、こちらこそ、お役に立てて光栄です」
 ピエートルに支えられているのをジャスティーヌが目ざとく見つけ、速足で歩み寄ってきた。
「どうしたのアレク?」
「少し、眩暈がしただけよ」
 アレクサンドラが答えると、ホーエンバウム公爵夫人が考え深そうな表情をした。
「ロベルト、アレクサンドラさんは夜会にもあまり慣れていない様子。そろそろ、今宵は帰って休まれたほうが良いのではありませんか?」
 ホーエンバウム公爵夫人の言葉に、慌ててアレクサンドラが大丈夫だと伝えようとしたが、すぐにロベルトも同意し、アーチボルト伯爵家一行は早々に夜会を失礼することになった。


「ごめんなさい、ジャスティーヌ。本当は、もっとゆっくりとしていたかったのでしょう?」
 帰りの馬車の中でアレクサンドラが謝ると、ジャスティーヌは頭を大きく横に振って隣に座るアレクサンドラの事をぎゅっと抱きしめた。
「アレクの方こそ、大丈夫? 戻ってきたときは、真っ青な顔をしていたし、体も冷たかったわ。まさか、一人で庭に出たりしてないわよね?」
 ジャスティーヌの鋭い観察に、父のルドルフの眼光が鋭く光った。
「お前が帰ってくる直前に、フランツが慌てふためいて広間に戻ってくると、歓談中の両親を引きずるようにして広間から連れ出し、そのまま侯爵家一家は帰宅されたと耳にしたが、まさか、お前、レディの身で何かしたのではあるまいな?」
 父の言葉に、アレクサンドラはドキリとした。
「もし、お前が庭に出たのであれば、お目にかかったのは本物の陛下だ」
 アレクサンドラは飛び上がりそうに驚いた。
 陛下は忍んで足を運んだというのに、父のルドルフが知っているとは、理由がわからずアレクサンドラは目を瞬くだけで言葉は一言も出てこなかった。
「ホーエンバウム公爵邸の東屋からは、とても美しい月が見える。陛下は折につけ、よくお忍びでホーエンバウム公爵邸を訪れ月見をなさる。それに、殿下が今宵、ジャスティーヌにバラの花を贈ると知っていて、王宮でおとなしく報告を待つような方ではない」
 父の言葉からは、リカルド三世が口にしたように、ただの一臣下ではなく、親しく接し、色々な事を話し合う、そういう友と言うべき関係に二人がある事が感じられた。
「陛下に失礼はなかっただろうな?」
 アレクサンドラが無言で口をパクパクさせている様子から、庭で陛下に出会ったのだと確信を持ったルドルフが問いかけた。
「私は、失礼は致しておりません」
 慌ててアレクサンドラは答えた。
「という事は、陛下に失礼を働いたのは、バルザック侯爵家のフランツという事か・・・・・・。フランツの行動は目に余ると、陛下は何度もバルザック侯爵に注意をしていらっしゃった。この期に及んで、非礼があったとなれば、侯爵の立場も危うくなるかもしれない」
 ルドルフは考え深げに言った。
「それで、アレクサンドラは、お前はその一件には関わっていないのだろうな?」
 父の言葉に、アレクサンドラは再びドキリとした。
「そ、それが、フランツがいきなり私に・・・・・・」
「なんですって!?」
 反応したのはジャスティーヌの方がルドルフよりも早かった。
「私が婚約したからって、今度はアレクに付きまとってるの?」
 身も蓋もない表現に、ルドルフは頭を抱えた。
「ジャスティーヌ、お前は殿下に嫁ぐ身だ。自分の過去の経験や家族の立場に振り回され、臣下たる者を色眼鏡で見てはならんぞ」
 父らしい言葉だったが、ジャスティーヌは不満げな顔をした。
「お父様、そんなことはわかっています。でも、私は、まだアーチボルト伯爵家の一員で、王族にはなっておりません。しかも、アレクは震えていて、眩暈まで起こしたんですよ。どんな酷い目にフランツにあわされたか、少しはお父様もアレクの事を心配してあげてください。そんなことでは、私はいつまで経っても、安心して殿下に嫁げません」
「そ、それは、それは困る。お前は十分殿下をお待たせしている。これ以上は、不敬にあたる」
 父の言葉に気分を害したジャスティーヌは、口をへの字に曲げて顔をそむけた。
「大丈夫よ、ジャスティーヌ。腕を掴まれて、迫られて、キスされそうになったけれど、陛下が助けてくださったから」
 アレクサンドラの説明に、ジャスティーヌは青筋を立てて怒りを表し、ルドルフは激しい頭痛と眩暈に襲われた。
 そんな小説の中のドタバタ劇のようなやり取りを見つめながら、アリシア一人、ニコリともせず、馬車が揺れるのに身を任せた。
「お父様、陛下が・・・・・・」
「どうした、アレクサンドラ?」
「明日、勅命を出されると」
「なに? 勅命だと?」
「はい。今後、陛下の許可なくバルザック侯爵家の者がアーチボルト伯爵家の者に話しかけることを禁止すると・・・・・・」
「な・・・・・・」
 あまりの事にルドルフは絶句した。
「腕を掴んでキスを迫っただけでか?」
 自分の娘に無体を働こうとしたフランツを庇うつもりは毛頭なかったが、それでも、アーチボルト伯爵家だけが陛下に重用されていると思われるのは、立場上あまりよろしくない。ルドルフは、あくまでも陛下の個人的な友人であり、それだけに、朝廷の重臣たちも立ち入れないところに踏み込んで話し合うことが許されているのだ。それも、ジャスティーヌがロベルトに嫁ぐことによって微妙なバランスになってはしまうが、それでも、ルドルフは王の臣下ではなく、王の友である事か求められているのだ。
「民の事を悪く言っておりました。民くさと呼んだり、贅沢な暮らしのために民から絞りとならないのは、愚かだとか、そのような事を色々と・・・・・・」
 何年か前に、朝廷にバルザック侯爵領の住民から重税に関する直訴があり、取り扱いにリカルド三世も苦労したことがあった。国からの税は国王の一存で変えることができても、所領に領主が課す税率を国王の一存で変えることはできない。ましてや、領地の運営に口を挟むことは、侯爵の面子をつぶす事にもなりかねず、朝廷の重臣たちも腫れ物に触れるように採決を取ったものだった。
「民くさか・・・・・・。陛下の一番嫌いな言葉だ。民は、血の通った人間だ、陛下はいつもそうおっしゃられる」
 ルドルフは言うと、大きくため息をついた。

☆☆☆

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